先生に必要なのは才でなく徳
「徳」を説くと嫌がられるのが昨今。が、徳なくして世の中は渡れない。政治家を先生という。メディア業界では評論家や売文業者を先生と呼ぶ。
先生とは指導的立場にある人のこと。指導的立場にある人の条件とは何か。才はあったほうがいい。が、徳はなければならない。
世に先生と呼ばれる人、その敬称を受け入れている人すべて、徳の人でなければならない、と私は思っている。だから、私は「先生」でないのだが・・・。
脇道にそれる。私に中国人の女性の友達がいる。その人は最初に会ったときから、私のことを「先生」と呼ぶ。「私は先生でないですよ」と言ったら、その人は「私にとっては先生です」と。これはどうでもいい話。
論語に「徳は孤ならず、必ず隣あり」とある。言い訳ばかりして逃げ回る政治家さん、知識ばかりひけらかす評論家さん、徳がほしいですね。
以上のこと、「偉そうに、お前はなんだ!」と言われれば、「ごめんなさい」と謝ります。ごめんなさい。