資料で見る、牧野富太郎という人物②ふるさとの名が消えた植物
はじめに
「資料で見る、牧野富太郎という人物①ヤッコソウについて」の記事の続きです。堅苦しい呼び方はどうもなじめないので僭越ながら牧野さんという呼び方にしています。
牧野さんは高知県高岡郡佐川町出身で、地元をとても愛していたといわれています。彼は、トサオトギリやトサノミツバツツジ、トサムラサキなど土佐の名をいくつもの植物につけています。
日本植物志図篇、第1巻第1集第1版で描かれたジョウロウホトトギスの元図には「紀州那智にも同種あれど品種は土佐の者に劣れり」といかにも土佐好きの牧野さんを示すメモが残っています。ちなみに紀州那智のものは今ではキイジョウロウホトトギスとして分けられています。
このように地元土佐を愛する牧野さんですが、トサと名付けられた植物を消してしまったことがあります。
消えてしまったトサザクラの名
トサザクラは、矢田部良吉がその和名とともにPrimula tosaensis Yatabeとして植物学雑誌に1890年に新種として発表しました。その論文の牧野さんが採集したシンタイプが牧野標本館に収蔵されています。矢田部氏も高知の人が栽培していたのと、牧野さんの高知産の標本があったから、地元の名前がよいとのことで、トサザクラの名前を付けたのかと思います。
それについて牧野さんは、1894 年に植物学雑誌に「トサザクラはイワザクラなり」との短い記事を投稿しています。以下意訳です。
このように、その植物はすでにイワザクラの名がついていることを指摘し、言い換えればトサザクラは使わない方がよいと言っているようです。本草関係で普通に使われているというのは、矢田部氏の勉強不足を批判しているようにも見えます。少なくとも牧野植物図鑑からはトサザクラの名は無くイワザクラとして掲載されています。
和名については、現在でも先取権はありません。あるのは学名だけです。したがって、どんな和名をつけるかは、それぞれの考えによります。ただ、混乱を避けるために、今まで使われていた和名があり、それがその植物を明確に示すことができるなら、それを使った方がよいというのはだいたいの共通認識です。
いろいろなところで言われていますが、最初は良好な関係だった牧野さんと矢田部氏との間が、最後にはえもいわれぬ関係になっていきます。今回のことはそのことも少しは関係したのかもしれません。ただ、そうした好き嫌いの感情でトサの名を消したというよりは、牧野さんの植物に向き合う真摯なスタンスゆえに、既存のイワザクラの名をさしおいてトサザクラの名を用いるべきではないという考えだったのかと思います。いろいろな文献を読み漁って勉強していた牧野さんだからこそできた指摘でしょう。 これがなければ、トサザクラの名が使われていたのかもしれませんが、現在は多くの文献等でイワザクラが使われています。
最後に
徳島県にもイワザクラは分布しています。ピンク色のとても可憐な花です。しかし、その名は牧野さんの研究者としての生きざまを語っているのかもしれません。