雑記:俺の息子は愚息じゃない。
なぜ、自分は頭が悪いのに、文体が硬く、暗い雰囲気が漂っているんだろう。そして、この数日ずっと腹を立てている。頭が悪くて、暗くて、短気な人間に思われてしまうじゃないか。しかも大多数の人は、人を一面的に見る人が多いように見受けられる。ネットで目につく人たちがそうなだけかもしれないが、「あの人は本当はそういう人だったんだ」みたいに、見えた悪い部分を”本当の姿”とするのは正に一面的な見方だ。化けの皮が剥がれるとかお面をかぶっているとかの表現も、皮とお面は他に変えがある、いわば、変面師とおんなしだと思うのだ。その場その場で被っている皮もお面変えていると思う。つまり、人類みな多面師たちということになる。人によって変わっているのは、態度じゃなく、見せたい顔なのだ。あえて断定的に言わせてもらう。見せたい顔なのだ。
久しぶりにシャワーを浴びるのがしんどい日であった。外が寒いのも起因しているが、日々の焦燥感に疲弊してしまっているのだろう。部屋の温度、湿度が快適になるタイミングが、一日の中で一度もない。ストレスがたまるのも無理はない。キャンセルをしようかしまいか迷ったが、息子の匂いが許容できるレベルを超えていた。毎日シャワーを浴びているというのになぜこうも匂ってくるんだ。許せない。男性器を形容する単語のひとつに、「ソーセージ」を使うことにいささか疑問を覚えている。サイズといい、形と言い、形容するにはピッタリなのかもしれないが、腸の肉詰めと男性器の距離感が近すぎて、グロすぎてみていられないと思ってしまう。(この腸の肉詰めという表現はピーマンの肉詰めに即してるけど、正しいのかはわからない。)
しかも加工肉だし。ほかの代表的な食べ物で言ったら、「バナナ」、「きのこ」、韓国では「唐辛子」が隠喩として使われている。そう、”自然”から生成している男根の類似品だ。加工してできた肉棒は悪意が感じられてしまう。ドイツ人の悪ふざけにしか思えない。うまいか知らんけど作ってる時にアレと似ちゃうなあはあっただろ。それを男女問わず嚙み千切らせるのは悪趣味だと思ってしまう。こんなことを言いつつ何食わぬ顔でソーセージと形容するのはやめない。ソーセージを食いながらね。
余談だが、唐辛子は韓国語でコチュという。お気付きかもしれないが、コチュジャンのコチュだ。ち〇こジャンというわけ。焼肉屋で、サンチュを頼む時に、「コチュジャンありで」と言っている時、どこかで韓国人が嘲笑しているかも。
また、自分の男性器を愚息だというノリがある。眠すぎるし、ソーセージに結構熱くなって愚息についていう気力がなくなった。尊息とかの造語から自分の息子は中途半端だし、大学も中退しているから中息だという流れを考えていた。それに対しての熱をソーセージに奪われてしまった。お休みなさい。