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雑記:趣味、友達

シャワーを浴びている時にネットで仲良くなって自分が北風を吹かせてしまい、ブロ解されてしまった女の子との会話を思い出してしまった。YouTubeで楽器紹介の動画を見てしまったからだ。ギターでMOROHAの弾き語りができる女の子らとよく仲良くなっていた。タイプは全く違うが、結果は同じ道に収束した。自分ではどうにもできない、なにかただならぬ隔たりを感じる。ギターを弾いている女性の音楽を聞くと心臓が握りしめられる。今は感傷的な音楽は聞けない。
話が脱線したが、思い出した会話は、「アンディーって私が紹介した曲めっちゃ鬼リピしてるよな」と、なんか恥ずかしくなって、照れ隠しで、「いやぁいい曲だからじゃない?」と言ってしまった。てかアンディーって呼ばれていた。めっちゃいいな。もう使えないけど。なんかの拍子でしれっと使いたい。
また脱線したが、それを思い出して考えてしまった。今まで自分は兄のRADWIMPSから始まり、友達の東京喰種、また他の友達のめぞん一刻から入国したるーみっくワールド、思い出せないけど他にもいっぱい影響されている。なぜこうも友達に影響されるのかと考えると、好きな友達の好きな作品を見たり聞いたりすることで、その友達の感性を知り、それを僅かばかりでも共有できるのがとても楽しいと思うからだ。自分は何を始めるにも遅いと思ってしまう節がある。映画やアニメ、音楽、ゲーム、食に至るまで、周りの友達がより深く知っていることが多くある。変に比較をして、勝手にブレーキをかけて自制してしまう。それを言い訳に怠惰に身を任せている。なので、おすすめの作品を見ることでマクロからミクロへ移行することができ、初めて同じ土俵に立つことができると思っているのだろう。自分はずっとマイナスからのスタートなので、友達の好きな作品を見ることで、一時的に一緒のラインにいることができる。そして、感性に触れ、一緒の温度感で話すことができるのが楽しいのだろう。その友達の知れない部分を知れる気がするのがまた楽しい。それらの行動を包括すると、趣味での活動と同じに思える。だから、自分の趣味が友達であるということが分かった。

今日は9時からタイミーで引っ越しのバイトを一時間行った。8時に起きて、遅刻すると思って、納豆を食べずに家を出た。ありふれた生活みたいな感じがした。比較的愛想よく仕事をすることができた。お客さんは見た目が若く、身長は170㎝に満たないが男前のセンター分けの茶髪だった。大学生だと思った。社員の方が作業で部屋を出て、自分とお客さんの二人きりになって、お客さんが気さくに話しかけてくれた。「今、お兄さんは大学生ですか?社会人?」と聞かれ、「いえ、今はフリーターやってます。」と言い、「そうなんですね、まあやりたいことが見つかるまでゆっくり行けば大丈夫ですから。」と言われ、何を達観してやがると、他人事だからと無責任に言いやがって、と思い、興味半分、ムカつき半分で愛想笑いした後、「お兄さんって大学生ですか?」と聞いた。そしたら意外なことに、「いえ、社会人です。」と返ってきた。その表情は嬉々としていた。意気揚々と転出届を出す時に大学生に間違われたという空気を読ませる、それに対する受け答えがテンプレート化しているエピソードを話してくれた。大学に通っていたという話もしていたので、短大卒なのかなと邪推してしまう程に若くかっこよかった。そんなこんなあり、無事に労働が終了した。帰り道で社員の方とお客さんのやさしさに触れ、涙が込み上げてきた。誰でもできる仕事ではあるが、誰よりも労働することにありがたみを感じた。何も犯罪も犯していないのに、今までずっと、社会から疎外感を感じていた。さしてそれに対して向きあっていた訳でもない。現実逃避をしていた。しかし、タイミーでの労働はある種の現実逃避と言って過言じゃないと思う。地獄にもなりきれない我が人生、この国がどんどん弱者搾取が進み、ステルスでだんだん生活水準が低くなり、エンゼル係数が高くなっていく。蝕まれて行っている日本から束の間の逃避行をしているに過ぎない。しかし今日は、その束の間の逃避に浸かることができた。稼ぎが少ないと、稼いだ分ギリギリを使ってしまう傾向にある。帰り道に平安堂があり、ちょうど開店時間だったため寄ってしまった。しばらく文房具コーナーなどをまわって、文庫コーナーを見て、「乳と卵」と「雪国」を買った。先日アマゾンの欲しいものリストに入れた本達だ。1000円強。併設してあるカフェに入って、小一時間本を読んだ。その間に、コーヒーとサラダを頼んだ。LINEで友達追加をして10%割引のクーポンを使って750円前後。引っ越しのアルバイトで稼いだお金は2000円。ギリギリだ。朝コンビニでコーヒーも買ったので、ホントにギリギリ。家に帰って続きを読もうと思ったが、いつの間にかだらだら過ごしてしまい夕飯の時間に。今日はというか、昨日から母親が風邪をひいてバタンキューなので、父親がジンギスカンを焼いてくれた。ジンギスカンの玉ねぎはなぜあんなにも甘くておいしいのだろう。ジンギスカン特有のうまみと触感がたまらない。ジンギスカンを嚙めば、羊の毛がもふもふな理由もわかるだろう。孤独のグルメにはまっているので、こういうことも書きたくなってしまった。ティファールに水を入れてくれと母親に言われて水を入れていたら何やら家族で自分に向かって警告をしている。なんだなんだと聞いてみたら、浄水器の水を入れてくれと言っていた。それを鬼気迫る感じで言ってきた。余りにもバカにしすぎている。ぶっきらぼうに、「わかってるよ」と言ってしまった。その瞬間、母の言葉を自分に伝達していた父が、「わかってるってよ」と俺の息子をバカにするなスタンスに切り替えた。これも大いなる邪推だ。切り取らなくてもいい。ただ、それにほんの少しばかり戸惑ってしまったのだ。

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