自己紹介という名の自分語りを晒してみた
あいさつ
みなさん、初めまして。RUNTEQ58期生のタケと申します。
2024年6月に入学し、先日カリキュラムをなんとか終えることができました。
現在は卒業制作向けてREADMEの制作に励んでいるところです。
今回、記事を書こうと思った理由は2つあります。
一つ目は入学してこれまでカリキュラムを最優先に活動しており、自分の記事を一つも書いていなかったなと思ったこと。
二つ目は、自己分析も兼ねてこれまでの自身のキャリアや価値観についてなどの棚卸しを行うことで、いま一度、自分のことを見つめ直すいい機会になると思ったからです。
事前注意!!
ストレス発散も兼ねて長話がだらだら続きます。 具体的には7000文字くらい。
長文を読むのが苦手。
途中で話に飽きた。
そもそも興味がない。
そんな方は「RUNTEQとの出会い」までスキップしてください。
それでもいいよという優しい方は、しばらくお付き合いいただければ幸いです。
少々退屈な自分語りが続くと思いますが、よろしくお願いします。
自己紹介
生年月日
1991年11月12日生まれ (32歳)
出身地
長野県 現在は東京都在住
趣味・特技
・野球
・アニメ鑑賞
・youtube鑑賞
・絵を描くのは少しだけ得意です。
・ボドゲが楽しいです。
仕事
現在はフルコミットで学習しています。
学生時代
高校時代
高校までは普通科で野球部に所属していました。
2年の春頃に肩を痛め、在学中は満足にプレーすることができなくなってしまい、途中退部。卒業まで帰宅部として過ごしました。
絵を描くことが得意だったこともあり、現実で野球ができなくなった代わりに「漫画の中で野球をする」ようになりました。それがきっかけで漫画家になりたいと思うようになり、放課後は直帰して一人こそこそと描いていました。
当時は漫画を描いてることをひた隠しにしていました。
理由は一度だけ親しいと思った友達にポロッとこぼした時の「キモ」という言葉がトラウマになったからです。
当時はオタク趣味への風当たりが厳しかったのです。
それがきっかけで誰かに自分のことをオープンにすることが怖くなってしまい、誰かと関わるのを避けるようにしていました。
修学旅行の自由行動時間に途中バスに戻って一人で過ごすくらい、クラスでは浮いた存在でしたw
大学時代
大学は一浪して地方大の理学部に進学し、そこでゆるく野球サークル(という名の飲みサー)に所属しながらコソコソ漫画やイラストを描いていました。
同じように野球部では「付き合いの悪いよくわからないやつ」扱いでしたが、そんな自分に対して多少の壁はあれど、仲間外れにすることもなく接してくれる仲間に出会えたのは、すごく幸運だったと思います。
そんな仲間に対して、いつまでも隠し事して壁を作っていたくないと思った4年の時に、漫画のことを話してみました。
そしたら全く拒絶されることもなく「めっちゃ絵上手いやん!」みたいに全肯定してくれました。
あの時は泣きそうになりましたね。てか、後で泣いた気がします。
それからちょっとだけ、友達とオープンに接することができるようになりました。
みんな地元に戻ったり結婚して家庭をもったり忙しくて会えてませんが、またいつか会って酒を飲みたいですね。
理学部では生態系の勉強をしていました。簡単にいうと生態系とは、全ての生物と環境によって構成されているシステムのことです。動物や昆虫などの生物に焦点を当てた研究と、水や空気などの自然環境にフォーカスした研究を選べるようになっており、私は高山帯におけるマルハナバチというハナバチの行動分析を卒論にしました。
この時にビッグデータを用いた統計学というものにエクセルで触れる機会があり、意味不明なデータからグラフで見えるように加工するのが楽しかったのを覚えています。
社会人になってから
1社目
大学では地元の中小企業に就職しました。理由は縁故採用です。
当時は漫画家になる気満々だったので、働きながら出版社に原稿を送ったりしてました。
仕事は工場で倉庫管理や製品製造をしていました。タンクローリーやフォークリフトを動かす関係で、仕事の合間に運転免許や危険物取扱者の資格をとる勉強をしたりと、疲れと忙しさになかなか漫画を描く元気がなかったです。
そんな仕事ですが、3年目に異動となった第二工場の工場長と折り合いが悪く、最初の会社は3年半で退職することとなりました。
次の仕事どうするかと思っていた矢先、当時の工場で働いていた年配の方から「下水処理場で働く人を探してるけど、どう?」と誘いをいただき、そのまま採用となりました。ええ、そうです。また縁故採用ですが、何か?
漫画家の世界
この頃には漫画家になるという夢が薄れ、慣れるといいなくらいになっていました。
そんな時に地元で「北斗の拳」原作者である武論尊先生が、プロの漫画家志望の人向けの漫画塾を開催するという話を聞きました。
受講期間は一年。
夢を追いかけるのか迷っていた私でしたが、一度はプロの世界に飛び込んでみて、そこでどうするか決めようと思い、入塾を決めました。
そこにはすでにデビュー済みの人や経験はほとんどないけど本気でプロになりたいという高校生、この塾を最後に筆を置き、夢を諦めるために来たという30後半の方など、本当にいろんな人と出会いました。
漫画塾で実際にプロの作家や編集者の人に漫画を見てもらいながら一年を過ごして思ったのは、「ここは自分のような半端者がいてはいけない世界だな」でした。
自分よりもずっと真剣に漫画に取り組んできて、それでもデビューすらできずに足掻いている他の受講生に対して、「なれたらいいな」くらいの自分では絶望的なまでに覚悟と熱量が足りませんでした。
当時、私のネームを見てもらったとある週刊誌の編集長さんに「この原稿応募すれば佳作くらいは取れる」と言ってもらえたのですが、結局描き上げることはなく、そのまま漫画の世界から卒業しました。
ただ、何も得られなかったわけではなく。私はあの塾とそこで出会った人達のおかげでしばらく忘れていた、本気で物事に取り組むということの大切さを思い出せた気がします。
その経験が今のプログラミング学習にも生きていると思いますし、夢は叶わなかったけど、決して無駄ではなかったと信じています。
2社目
漫画塾に通いながら過ごした1年目を経て、2年目の終わり頃から水質分析の仕事を中心に任されるようになりました。
毎朝汚水を採取して、きちんと綺麗に処理できているか分析してデータにまとめるという業務です。
理科室の実験室の光景をイメージしてもらえれば大体あってますw
仕事も順調に行ってたし、給料は正直少なかったけど残業はなく家に帰れるのが魅力で、通算5年働いていました。
ただ、4年目を過ぎた頃から自分のスキルと将来性に疑問を持つようになりました。毎日同じルーティン業務をこなすことに物足りなくなってきたのもあると思います。
「もっと専門性のあるスキルを身につけて、難しい仕事にチャレンジしたい」という思いから、23年の9月に退職し、東京の中小企業に転職しました。
3社目での失敗
実は転職する際、エンジニアという仕事に興味はありました。転職サイトにSESの募集があり、中身を見て「ITで働くのも面白そうだなぁ」と思ったからです。その時progateにも触れましたが、正しいコードを書いて処理がうまくいった時はすごく楽しかったです。
ただ、当時すでに31歳だったこと。ネットなどで調べたら悪い体験談が山ほど出てきたこと。全くの未経験だったこと。
それらを理由に、これまでの経験が活かせる東京のビルメンテナンスを請け負う企業を選びました。
この企業を選んだ理由は、「いろんな建物のいろんな設備に触れることができるから」というものでした。
実際、私も入社してから某大手企業の本社ビルに仕事で入らせて頂いたりしました。仕事内容は楽しかったし、見たこともない設備などに触れるなど新しいことにチャレンジする毎日は刺激的ですごく楽しかったです。
ただ、結果として私は体調を崩してしまい、退職せざるを得なくなりました。
入社前に説明を受けていた勤務形態がひどくかけ離れており、一例をあげると、朝2時~8時の間での不規則な出勤時刻と、毎日3時間ほどのサービス残業。「出勤から現場での作業終了までを労働時間です。帰社までの通勤時間と書類作成したり次の日の準備する時間は仕事じゃありません」って発想、天才だと思う。そりゃ募集要項の月平均の残業時間が23時間になるわな。
特に夜勤はきつかったです。専門チームがあるから無いと聞いていたのですが、週1くらいでありました。
夜勤から外してもらえないかお願いしても、「人がいないから」「お客からの依頼だから」と聞いてもらえませんでした。
転職しようにも短期離職はキャリアに響くと踏ん切りがつかず、仕事を続けながら次の転職先を探そうと考えはじめていたある日、体に異常が出ました。
入社から半年が過ぎた頃、突然眠れなくなりました。体は疲れてるのに目が冴えて寝れません。その状態で出勤する日もありました。
流石におかしいと思って病院に行ったら、そこで適応障害と診断され、生まれて初めて長期療養することになりました。
RUNTEQとの出会い
32歳で転職に失敗して休職生活に入り、最初は何もする元気すらなく、昼でも夜でも構わずにひたすら寝て休むという生活を2~3週間ほど送っていました。
すると少しだけ物事を考えられるようになり、改めて次の仕事をどうしようか考えたとき、SESの応募のことを思い出しました。
体を壊してメンタルボロボロだった当時、何考えてたか正直覚えてません。
ただ、もう一度エンジニアについて調べてみたところ、東京ではエンジニア転職をサポートしていること。プログラミングスクールで受けられることを知りました。
そこで今度はエンジニア転職サポートを受けられるプログラミングスクールについて調べました。
それが、RUNTEQとの出会いでした。
RUNTEQのブログやYoutubeチャンネルをひたすら漁り、Webエンジニアという業務の楽しさ、厳しさを含め、すごく楽しそうな世界があるんだなと思いました。
32歳、未経験。転職失敗。
どうせ失うものは何もない。
そんな精神で私は、RUNTEQの無料面談に申し込みを行い、そのまま6月には入学していました。
なので入学理由は、専門性のあるスキルを身につけて、難しい仕事にチャレンジしたいという思いがマッチしたのと、楽しそうという子供みたいな感情です。
最初に考えたこと
勢いで入学した私ですが、やるなら本気で精神のもと全力で取り組もうと考えました。
方針としては以下のとおりです。
・体調回復を第一に!!疲れたら休む!!
・アドバイスはまず可能な限り実践!!
・ギブアップして答え見てもいいから、カリキュラムはスピードを優先!!
解説すると、Webアプリってなに?くらい何も知らない状態からのスタートだったので、知らないことは当然。
だからわかる人からのアドバイスをまずはやってみる。実践してみて、そこからフィードバックを得ようと考えました。
乾いた雑巾をいくら絞っても水が出ないように、よく知らないことの解決方法をいくら考えたって答えは出ないし非効率。
ググって調べる。
チャットGPTに頼る。
質問を見る。
それでもダメならいざぎよくギブアップして、さっさと答えを見て次に進む。知らない知識にどんどん触れて、いつか必要な時に思い出せるようになろう。
そのくらいの気持ちでスタートしました。
これは学校の勉強でも同じで、まずは答えの丸写しから初めて、どうしてそうなるかを理解してから問題に移った方が理解は早まるという考えから思ったことです。
ここまで学んできて
幸い、プログラミング学習はほとんどストレスにならず、体調は今のところ回復傾向です。
プログラミングって、マンガ制作に似てると思うんです。私独特の感覚かもしれませんが。
まず漫画のネタ・テーマを考えて、アイデアを膨らませて、キャラクターを生み出して。ネームを書いてはセリフを修正。書いてはコマ割りを修正。ネームが完成してやっと本番の下書き、ペン入れ、仕上げ。
これらをアプリ制作に当てはめると。
問題とそれを解決する手段を考えて、アイデアや仮説を膨らませて、処理コードを生み出して。コード書いてはバグ修正、書いてはバグ修正。MVPが完成してやっとデプロイ。リリース。フィードバック。
ものすごくざっくりだし、実際は全然違うかもしれません。けど私はそんな感覚でプログラミングを学んでいます。
プログラミング学習がつまらなくなってきた時は、自身の興味あることや過去の体験に当てはめてみると見え方が変わって、学習が捗るようになるかもしれません。
そんな感じでひたすらのめり込んで学習をしてみた感想ですが、やればやるほど楽しくなってくるというのと、コミュニティは暖かい、これに尽きると思います。
純粋に、知識が身についてできることが増えるのは楽しいですよね。
ただ、プログラミング学習は、孤独です。独身で一人暮らしなら尚更。
私も行き詰まって苦しい時は、孤独感で気持ちが沈んで、全部投げ出したくなったりしました。
そんな時にDiscodeに入れば同期や先輩がいますし、質問や技術面談では講師の方に質問もできます。
誰かに気持ちや不安を吐き出すことができると、それだけで気持ちが楽になりますし、もう一度頑張ろうと思えるようになりました。
BATTLE OF RUNTEQ、RUNTEQ_Path、RUNTEQ祭といった黄金期間を過ごすことができたのも本当に幸運でした。
ソーシャルポートフォリオで先輩の開発したアプリに実際に触れたり、いろんなイベントに参加して現場の人たちの話を聞くたびに、「エンジニアってすごい!」「この世界で働きたい!」と感じるようになりました。
このまま卒業できるように頑張っていきたいと思います。
・・・ただ、バトランやRUNTEQ祭で受賞された方のアプリとか見ると「なんじゃこりゃ!!このレベルになれるまで、どんだけ勉強すればいいんだ!!」と思ってしまうことは許してください。上は見ない。これ大事。
これからのこと
今後のRUNTEQ生活の目標ですが、以下の2つです。
・RUNTEQ CREDOをこれまで以上に実践する
・卒業制作を通じて、自主的にプログラミング学習と技術のキャッチアップに挑戦する
ここまでRUNTEQで過ごして、まだできてないことがいっぱいあります。
これまで多くのイベントに参加させてもらいましたが、登壇回数は0。
ミニアプリ開発もしたことがないという状態です。
RUNTEQではCREDOという素晴らしい行動指針があるのですが、まだ全てを実践できていないと感じています。
具体的にはGive FirstとBe Openがまだまだと感じています。
なので卒業制作が優先ではありますが、卒業までにいろんなことに挑戦してみたいなと思っています。
今回、ここで自己紹介の記事を書いたのもBe Openを実践しようという思いもあったからです。めっちゃ恥ずかしいですので、そのうち消すかもしれませんが(ボソッ)
また、これまではカリキュラムという「答えのある用意されたタスク」をこなしてきましたが、卒業制作は答えがありません。本当の意味で「日頃から勉強し続ける力」「自分に必要な技術をキャッチアップする力」が必要があると私は思います。、
なので卒業制作に挑む際、カリキュラムで培ったググる力と先輩や技術面談、同期に頼りまくるなど、できることは全部やって完成させたいなと思っています。
その分、自分が誰かに聞かれたり、相談をされた時は自分がGiveしてもらったもの以上のTakeを実践したいです。それが巡り巡って、自分の力になると思っています。
最後に
ここまで私の自己満足にお付き合いいただき、ありがとうございました。
だいぶ脚色したりあえて省いた部分もありますが、色々吐き出すことができて楽しかったですし、おかげで自己分析も捗りました。
正直、まだ卒業すらできていない身分でなに偉そうにベラベラ語ってんだとか、卒業できなかったらどうしようとか、こんなに自分語りをして気持ち悪いって思われないかなとか、途中でいろんな不安が込み上げてきました。
けど、過去に自分の厨二病全開で書いたファンタジーバトル漫画を
友人に見せた時の方がよっぽど恥ずかしかったので!!
それを真顔で「どっかで見たことある設定とキャラクターだね笑」って
ダメ出しされた時は首吊って死にたくなりましたよ、ええ!!
それに、こういった書き物で自分を表現することが元々好きな人間ですので、ストレス発散のつもりで書きました。
後で見返して羞恥心で死ぬ未来の自分のことは放っておいて、そのメンタルがアプリ制作にも活かせればなと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。