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映画感想『鹿の国』

長野県の諏訪で行われる神事についてのドキュメンタリー『鹿の国』を観てきた。

🦌感想

昨年、諏訪を訪れて諏訪大社と守矢史料館を拝観したところだったので、見る前の下地はうっすらとあった。
神事の再現パート、神事に係る人達のパート、そしてその地で生きる人のパート。
再現の映像中は、なんだか不思議で楽しい夢を見てるような感覚になる。これが厳かというよりも、寄り合いの中みんなが笑っているから余計に。
四季の移ろいが流れるのも、すごく良かった。
鹿の血が小川に流れていくのも美しかったし、随所随所、自然の美しさが光っていた。
御柱祭、人生で一度は見に行きたいものだ。

🦌ミシャグジとは

三社宮司?巳社宮司?御射宮司?御石神井?
どんな漢字が当てはまるかを考えるだけで、時間が溶けていく。どれもそれっぽい説がくっついてきて、ほんのり怖さもあり、ここに魅了され、いくつもの考察が残るのも頷ける。

🦌蛇、巳の考察

再現された、かつて途絶えた神事、御室神事は、そこかしこに蛇を感じる。そもそも冬に室を掘って穴の中で行う事自体、蛇の冬眠を思わせるし、小山の形の供え物も(映画内では妊婦の腹と言っていたが)とぐろをまく蛇の形にも見える。
御使を「おこう」と読むのは普通のことなんだろうか。
吉野裕子の『蛇〜日本の蛇信仰〜』には、滋賀県のオコナイの中で供える鏡餅に上げる灯明を「オ光」と呼び、蛇の目を現すという記述があって、どきりとする。
諏訪大明神として普賢菩薩が見つかったのも、普賢菩薩は辰と巳年の守り神だから納得である。
柱や石棒も蛇とつながる。鏡があるのもカガ、カカが蛇を表すからだ。

御室神事ではないが、植物で作られた雌雄の鹿の胴体に矢を射る、豊作祈願の映像があった。
雌の胴体には餅が隠されており、矢を射終わるとみんなで餅を奪い合う。鹿の子模様との説明があったが、蛇の卵のようにも見える。
蛇だらけだ。
なのにどうして首が供えられるのは、鹿なのだろう。

🦌なぜ鹿なのか

蛇と鹿の関連を調べても、これという理由がわからない。猪ならまだわかる。馬ならまだわかる。でも鹿なのだ。
「おこう」という言葉を聞いたとき、「御香」かなと思った。イノシシはヰのシシ(肉)、シカは香のシシ。だから御使は鹿かと思ったけれど、違いそうだ。
赤茶色をアカと呼ぶ。蛇でも赤蝮は茶色い。
鹿も赤毛だ。
でもやっぱり決定的に、他の動物でなくて鹿だった理由がまだ腹落ちしない。

🦌生活と信仰

結局のところ、そういった理由は、言葉とか伝記や伝説よりも、もっと生活に根ざしたところに信仰のもとがあったんじゃないかということに落ち着いた。
例えば、その時期にその地方で鹿が手に入りやすかったから、とか。鹿が美味しいからとか。農耕の祈りに対して狩猟にしたとか。大勢で食べたいから、たくさん狩ったとか。
本当はもっと、単純かもしれない。

その土地の、土に触れて生きる人が、生活のために作物の豊穣を祈ったり、今年も元気で過ごせたことを花に感謝する、そういうところに答えはある気がする。
それは都会で暮らして、肉も農作物も自分では生み出さない私が、どんなに頭を捻っても届かない答えのようで、私は心底羨ましい。

🦌さいごに

映画を観てから一週間、暇さえあれば諏訪のことを考えていた。蛇、蛇、鹿、鹿、鹿…
いつの間にか、鹿の国にいる。



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