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Orbit「軌道」(20)

# Orbit

## 第二十話「変革」

パリの国際宇宙開発会議場。Gateway計画の重要会議が、歴史的な決定を下そうとしていた。

「磁気カスケード制御技術の採用を、全会一致で承認します」

議長の宣言に、会場内がどよめいた。わずか数ヶ月前まで、この技術は未知の現象にすぎなかった。それが今、人類の月面活動の基盤となることが決まった。

「各国の宇宙開発計画も」NASAの代表が立ち上がる。「本技術を前提に、全面的な見直しを進めています。特に火星探査計画において、革新的な可能性が」

速水は静かに目を閉じた。南極での実験、ISSでの実証、そして各国の検証。すべての結果が、この技術の信頼性を裏付けていた。

『つくば、こちらISS』瑠璃からの通信が入る。『環境制御システムの長期データ、予想を上回る安定性を確認。消費電力90%削減、防護効率500%向上が、恒常的に維持されています』

会場のスクリーンには、各国の宇宙機関から次々と報告が表示される。

『ESA火星探査計画、全面的な再設計を決定』
『中国の月面基地計画、新技術採用により大幅前倒しへ』
『インド宇宙研究機関、独自の応用開発を表明』

そして、予想外の反応が地上から沸き起こっていた。

「トヨタ自動車から発表です」上島が新しい資料を共有する。「この技術の自動車への応用について、業界全体での取り組みを開始。特に自動運転システムの革新的な進化が期待できると」

藤堂が補足する。「半導体業界からも問い合わせが殺到しています。量子効果の制御技術が、製造プロセスを根本から変える可能性があると」

「医療機器メーカーからも」平岡教授が興奮を抑えきれない様子で。「特にMRI*1など、磁場を利用する診断装置での応用研究の申し出が」

速水は黙って状況を見つめていた。この技術は、単なる宇宙開発の枠を超えようとしていた。

『南極からの報告です』中村の声が響く。『ローバの周囲に形成された制御空間が、驚くべき変化を見せています。数値上では、外部からのエネルギー供給なしに、空間の秩序性が自発的に高まっているんです。まるで生命体のように、システムが自己組織化を始めているかのようです』

中村は言葉を選びながら続けた。『具体的には、マイナス48度の極寒下でも、ローバ周辺の温度が常に最適値を保ち、ブリザードの影響も受けない。しかも、この効果は時間とともに強まり、安定性が向上しているのです』

会議の終盤、経済産業省の代表が発言を求めた。

「本技術を、日本の新たな基幹産業として位置づけたい。特に、基盤レイヤー*2と価値創造レイヤー*3の二層構造は、今後の産業モデルの…」

発言が続く中、瑠璃は、きぼう実験棟の窓から地球を見つめていた。定期観測の最中、彼女は制御空間に異変を感じ取っていた。まるで水が氷に変わるように、制御空間全体の性質が一斉に変化し始めている。

「竜」彼女は同僚に声をかけた。「これは面白い現象かもしれない」

モニターには、制御空間の状態を示す数値が規則正しく並んでいた。従来のデータでは見られなかった整然とした秩序が、そこにはあった。

「まるで、物質が結晶化するように」竜が画面を見つめる。「システム全体が、より安定した新しい状態に移行している」

つくばでデータを確認していた平岡教授の表情が変わった。

「これは相転移*4です」彼の声が震える。「磁気カスケード制御によって生まれた空間が、まったく新しい性質を持つ状態へと変化している。水が氷になるように、あるいは溶けた金属が結晶化するように」

速水は深いため息をついた。これは終わりではない。むしろ、本当の変革はここから始まるのかもしれない。

藤堂の目が輝いていた。彼女も感じ取っていたのだろう。この技術が切り開く未来の、途方もない可能性を。

「準備を」速水は静かに告げた。「新しい時代の幕開けです」

(続く)

*1 MRI:Magnetic Resonance Imaging(磁気共鳴画像法)。強力な磁場を使用して体内の詳細な画像を得る医療診断装置
*2 基盤レイヤー:技術の基礎となる共通の土台部分。標準化され、誰もが利用可能な技術基盤
*3 価値創造レイヤー:基盤の上で各企業が独自の付加価値を創造する領域
*4 相転移:物質やシステムの状態が劇的に変化する現象。例えば水が氷に変わる時のように、温度などの条件がある点を超えると、突然、全く異なる性質を持つ状態に変化すること。磁性体が磁石になったり、金属が結晶化したりする現象も相転移の一種。​​​​​​​​​​​​​​​​

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