Orbit「軌道」(22)最終話
# Orbit
## 第二十二話「継承」
2026年12月、種子島宇宙センターの夜明け。Gateway関連物資の軌道上補給ミッションまで、H3ロケット8号機の打ち上げまで残り4時間。
種子島の管制室に速水の姿があった。アルテミス計画の日本側統括責任者として、この重要な打ち上げに立ち会うためだ。Gateway計画の技術開発を主導してきた彼は、今やJAXA有人宇宙技術部門の本部長を務めていた。
アルテミス2の有人月周回飛行の成功から3ヶ月。そして先週、NASAは歴史的な発表を行った。アルテミス3の最終ミッション構成の発表。NASA宇宙飛行士2名と共に、JAXAの山下彩香宇宙飛行士の参加が正式に決定したのだ。
「本部長」ISSから帰還後、Gateway計画の技術主任に就任していた瑠璃が声をかける。「磁気カスケード制御システム、最終確認が完了しました」
速水は静かに頷いた。かつて彼らが発見した現象は、今や人類の月面活動の基盤となろうとしていた。
月の南極に位置するシャックルトンクレーターでの探査活動。特に、水氷の存在が示唆される永久影領域での活動において、日本の磁気カスケード制御技術が極めて重要な役割を果たす。山下彩香は月面での科学観測責任者として、新技術を用いた環境制御システムの実地検証を担当することになっていた。
「第一期の研修生たち」藤堂が管制室に入ってくる。「全員合格です」
速水は穏やかな表情を浮かべた。彼らが立ち上げた次世代育成プログラムは、予想以上の成果を上げていた。全国から集まった若手技術者たちは、既存の理論を超える独創的なアイデアを次々と生み出していた。
「私たちの世代では考えつかなかった発想です」平岡教授が資料に目を通しながら言う。「特に量子効果の制御理論については、彼らの方が一枚上手かもしれない」
つくばの研究棟では、藤堂の率いる新チームが、相転移後の空間における未知の現象の解明に取り組んでいた。
「H3ロケット、最終燃料充填開始」
打ち上げ管制官の声が響く。カウントダウンが始まろうとしていた。
管制室の別のモニターには、量子効果実験棟からの最新データが表示されていた。竜が研究主任として指揮を執る実験チームが、新たな発見を報告していた。
「これまで観測されたどの相転移とも異なる、新しい秩序の形成が確認されました」竜の声には、抑えきれない興奮が混じっていた。
「10、9、8...」
カウントダウンが進む中、管制室の技術者たちの表情は凛々しかった。彼らの多くは、新世代の若手たちだ。
「エンジン点火!」
轟音と共に、H3ロケットが大地を蹴って上昇を始めた。青空に向かって真っ直ぐに伸びていく白い航跡。搭載された物資には、日本の技術力の結晶が詰まっていた。
打ち上げの成功を見届けた後、速水は藤堂たちに向き直った。
「後は任せました」
月面に向けて訓練を続ける山下彩香の姿が、スクリーンに映し出される。彼女の活動は、日本の技術力が世界に認められた証となるはずだ。
管制室の窓から見える夜明けの空に、一筋の光が伸びていく。それは人類の新たな冒険の始まりを告げるように、明るく輝いていた。
「さて」平岡教授が若手研究者たちに向かって言った。「次は何が見えてくるでしょうか」
速水は静かに微笑んだ。技術の進化は、新たな扉を開く。そして、その先にはより深い謎が待っているはずだ。
人類の物語は、まだ始まったばかり。宇宙という果てしない舞台で、新たな章が、今、開かれようとしていた。
(完)
*1 シャックルトンクレーター:月の南極に位置する直径21kmのクレーター。内部には永久影の領域があり、水氷の存在が示唆されている
*2 永久影領域:太陽光が永久に届かない領域。月の極地のクレーター内に存在し、水氷が保存されている可能性が高い
*3 H3ロケット:日本の新型基幹ロケット。高い信頼性と打ち上げコストの低減を実現した次世代ロケット
*4 相転移:物質やシステムの状態が劇的に変化する現象。例えば水が氷に変わる時のように、システムの性質が突然変化すること