見出し画像

Orbit「軌道」(10)

# Orbit

## 第十話「観測」

「各メーカーのセンサーデータ、統合準備が整いました」

南大西洋異常帯の通過まで残り1時間。つくば宇宙センターの管制室では、各社の技術者たちが最後の確認を行っていた。

「日立のセンサーは予定通りの応答速度」技術者が読み上げる。「東芝、三菱電機のシステムも正常です」

きぼう実験棟に設置された三種のセンサーは、それぞれ異なる特徴を持っている。高速で変化を捉えるもの、微細な変動を検出するもの、空間的な広がりを把握するもの。それらのデータを組み合わせることで、現象の全体像が見えてくるはずだった。

「気になる点が」藤堂が新しいグラフを表示する。「データの同期にわずかなズレが」

「それ、むしろ利用できるかもしれません」日立の若手技術者が声を上げる。「このズレから、磁場の変化がどう伝わっていくか、追えそうです」

平岡教授が身を乗り出した。「それは興味深い視点ですね。理論的にも」

その時、ISSからの通信が入った。

『つくば、準備状況を確認させてください』瑠璃の声。『残り45分で、環境制御システムの最終調整に入ります』

「すべて予定通りです」速水が応答する。「トヨタチームからの提案も組み込めました」

トヨタの技術陣は、月面ローバで培った複合センサーの制御技術を提供していた。宇宙空間という極限環境でのセンサー制御。その経験は、今回の観測に新たな視点を与えていた。

「太陽フレアの状況、更新です」管制官が報告。「強度は予測の1.2倍。高エネルギー粒子の到来ピークは、異常帯通過とほぼ同期します」

平岡は計算結果に目を通していた。「これは理想的な条件かもしれない。予測を確かめるには、絶好の機会です」

『残り30分』瑠璃の声。『センサーの最終チェックを開始します』

スクリーンには、ISSからのリアルタイムデータが表示される。改良された三つのセンサーは、それぞれ予想以上の性能を示していた。

「仕様以上の性能が出ていますね」東芝のベテラン技師が満足げに頷く。「設計時の余裕が効いています」

それは日本のものづくりの特徴でもあった。常に実力値に余裕を持たせる設計思想。その潜在能力が、今回の改良で引き出されたのだ。

『異常帯、進入10分前』瑠璃の声に緊張が混じる。『予想以上の磁場変動を、既に検知しています』

「データの統合を始めます」藤堂がキーボードを叩く。三つのセンサーからの情報が、一つの映像として構築されていく。

「驚くべき精度です」平岡が声を上げる。「磁気カスケードの構造が、これほど明確に」

『進入5分前』瑠璃の報告。『二番目のセンサーで特徴的な波形を検出。これは...』

「前触れのような変化ですね」日立の技術者が即座に応答。「しかも、予想以上に規則的な」

その時、トヨタチームから緊急の通信が入った。

「月面ローバの制御システムにも、この知見を活かせそうです」開発主任の声。「特に、磁気シールドの改良に」

速水は即座に判断を下した。「現在の観測データを、リアルタイムで共有してください」

『異常帯、進入開始』瑠璃の声。『全センサー、最大感度で観測を継続中』

次々とデータが蓄積されていく。高速の変動、微細な歪み、空間的な広がり。それらの情報が組み合わさり、これまで見えなかった現象の全体像が浮かび上がってきた。

「信じられない」平岡の声が震える。「理論予測をはるかに超える規則性が。これは...」

『つくば』瑠璃の声に切迫感が混じる。『環境制御システムが、磁場変動に反応し始めています。でも、これは異常ではなく』

「制御系が自然に」東芝のエンジニアが分析結果を示す。「磁気カスケードのエネルギーを、積極的に...」

「利用している?」速水が問いかける。

会議室が静まり返る。これは誰も予測していなかった展開だった。日本の技術陣の緻密な改良作業は、単なる現象の観測を超えた可能性を示していたのだ。

『異常帯、通過完了』瑠璃の冷静な声。『すべてのデータを記録。想定以上の成果が得られました』

「これは」速水が静かに語り出す。「Gateway計画全体に、大きな影響を与える発見になるかもしれません」

観測は成功した。しかし、それは新たな挑戦の始まりでもあった。日本の技術力が、また一つ、宇宙開発の新しい地平を切り開こうとしていた。

(続く)

*1 磁気カスケード:磁場の変動が連鎖的に伝わっていく現象
*2 前触れ現象:本格的な変化の前に現れる予兆的な変動
*3 自然応答:システムが自動的に最適な対応を取ること

いいなと思ったら応援しよう!