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Orbit「軌道」(1)

# Orbit

## 第一話「Gateway」

国際宇宙ステーション(ISS)の窓から、星野瑠璃は南極方向を見つめていた。すでにアルテミス1が成功し、アルテミス2の有人月周回ミッションまであと数ヶ月。そしてその先には、人類の月面再着陸となるアルテミス3が控えている。

「瑠璃、I-HABのデータ、送られてきたぞ」

振り向くと、木村竜がホログラフィック・ディスプレイを操作していた。Gateway計画の重要部分である国際居住棟(I-HAB)。その環境制御システムは日本が担当することになっており、現在ISSで実証実験を進めている。

「NAVカメラの映像も来てる」竜が別の画面を開く。「PPEとHALOのドッキング、予定通り完了したみたいだ」

スクリーンには、すでに結合された電力・推進要素(PPE)と最小居住棟(HALO)が映し出されていた。Gateway建設の第一段階だ。この後、彼らが開発に関わるI-HABが加わることで、月周回有人拠点としての基本機能が整うことになる。

「NRHO軌道への投入は?」

「順調だって」竜はデータログを確認しながら答える。「月の南極上空26,000マイルから2,000マイルの範囲でホバリング、予定通りだ」

Near-Rectilinear Halo Orbit(NRHO)。月の南極地域へのアクセスを容易にするこの特殊な軌道は、将来的な月面基地建設の重要な要素となる。

「環境制御システムの実験データ、更新しましょう」瑠璃はモニターに向かった。「温度13℃、湿度45%、CO2分圧0.4kPa...」

「このままなら、I-HABの仕様もクリアできそうだな」

瑠璃が数値を記録し終えた時、通信機器から地上管制官の声が入った。

「ISS、つくば。トヨタチームから月面ローバの報告が入っています」

「了解」瑠璃が応答する。「実験ログは保存済み」

大型スクリーンに切り替わった映像には、有人与圧ローバの開発チームが映っていた。月の南極域での長期探査を可能にするこのローバは、Gatewayからの物資補給を前提に設計されている。

『燃料電池の耐放射線試験、予想以上の結果が出ました』トヨタのエンジニア、中村が報告する。『2週間の連続走行、技術的には可能な見通しです』

「それは良いニュースね」瑠璃は画面に表示された試験データを確認する。「でも気になる部分もある。バッテリーの温度変化、これは...」

その時、警報が鳴り響いた。

『警告。デブリ検知。全クルーは直ちに指定された退避エリアへ移動してください』

「実験データは?」竜が即座に確認する。

「自動保存した」瑠璃は最後のログを確認しながら答えた。「でも気になるのよね、このパターン」

二人が退避区域に向かう間も、瑠璃の頭の中では考えが巡っていた。有人与圧ローバの温度変化は、I-HABの環境制御システムにも影響する可能性がある。月の南極域での活動では、極端な温度差への対応が求められる。現在のシステムは、その変化に十分対応できるのだろうか。

待避区域には他のクルーメンバーも集まっていた。デブリ接近までの時間をカウントダウンする表示の下、竜が静かに話し始めた。

「結局、すべては繋がってるんだよな。Gatewayの環境制御、ローバの性能、月面活動の計画と」

「そうね」瑠璃は頷く。「だからこそ、一つ一つの実験が重要なの」

スクリーンには、アルテミス計画の工程表が表示されている。アルテミス2の有人月周回、アルテミス3での月面再着陸、そしてその先にある持続的な月面活動。それらすべての基盤となるGatewayの建設が、着実に進んでいた。

デブリ接近の危険が去った後、瑠璃は再び「きぼう」での実験に戻った。環境制御システムの各数値は、予想通りの範囲で安定している。小さな成功の積み重ねが、確実に未来への道を作っていく。

窓の外では、月がわずかに姿を見せていた。かつて人類が到達し、そして長い間遠ざかっていたその天体に、新たな方法で接近しようとしている。Gateway計画は、その重要な一歩となるはずだ。

「あのさ」竜が実験データを記録しながら言った。「私たちの実験、Gatewayだけじゃなく、火星探査にも応用できるかもしれないって話が出てるらしいよ」

瑠璃は黙って頷いた。月という目標は、人類にとってゴールではない。さらなる高みを目指すための、重要な通過点なのだ。

(続く)

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