Orbit「軌道」(7)
# Orbit
## 第七話「相関」
つくば宇宙センターのデータ解析室は、明け方まで灯りが消えることはなかった。
「ロシアからのデータ、届きました」藤堂が大型スクリーンに新たな波形を表示する。1976年のルナ24号。月の磁気異常域での探査中に発生した制御系の異常データだ。
「これを」藤堂が画面を切り替える。「火星探査機、ISSの実験機、南極のローバ、それぞれの異常波形と比較してみました」
速水は息を呑んだ。異なる時代、異なる環境で記録されたデータが、不気味なほどの類似性を示していた。
「もう一つ」藤堂が新しいウィンドウを開く。「これは南大西洋異常帯*1上空でのISSの観測データです。通常、この海域上空では地球の磁場が極端に弱くなる。つまり...」
「月面に近い環境になる」速水が言葉を継ぐ。「そこでも同じ現象が」
『つくば、こちらISS』瑠璃からの通信が入る。『磁気センサーの詳細データを送信します。特に注目してほしい部分があります』
スクリーンには、磁場強度の3次元マッピングデータが表示された。
「これは」速水が身を乗り出す。「磁力線の歪み方が...」
「ええ」藤堂が頷く。「南極での観測データと酷似しています。しかも」
彼女はキーボードを叩き、新たなグラフを重ね合わせる。
「極域のオーロラ帯*2で観測される磁場の乱れと、同じパターンを示しています」
その時、南極基地からの通信が入った。
「中村です」ベテラン技師の声が響く。「ローバの異常について、新たな発見がありました。磁気シールドの応答データを詳細に分析したところ...」
続いて送られてきたデータに、速水は目を凝らした。
「あっ!」
「はい」中村の声が確信に満ちている。「シールドを突き抜ける振動には、特定の周波数パターンがある。しかも、その周波数は...」
『ISSからも補足を』瑠璃が割り込む。『私たちの環境制御システムで観測される異常振動と、完全に一致します』
藤堂が素早くデータを解析する。「しかも、この振動パターン。火星探査機でも、ルナ24号でも観測されています」
会議室に重たい沈黙が流れる。
「つまり」速水がゆっくりと言葉を選ぶ。「これは単なる機器の不具合でも、太陽風の影響でもない」
「そうですね」藤堂がモニターに新たな図を表示させる。「考えられるのは、特殊な条件下での非線形共振現象*3です。磁場の歪み、真空環境、そして複数のシステムが存在する。この三つの条件が揃った時に...」
『つくば、ISSからの緊急報告』通信官の声が響く。『南大西洋異常帯に接近中です。磁気センサーの値が変動し始めました』
「観測態勢を」速水が即座に指示を出す。「特に、システム間の相互作用に注目を」
『了解』瑠璃の声。『環境制御、通信機器、電力システム、すべての応答を記録します』
これは実験的検証の機会かもしれない。人類が月や火星で直面する未知の現象を理解する、重要な手がかりになるはずだ。
「藤堂さん」速水が声をかける。「理論物理学の平岡教授に連絡を。この現象の数理モデルについて、相談したい」
「はい。あと、もう一つ」藤堂が新たなデータを指す。「南極の実験施設で、意図せず月の磁気異常域に近い条件を作り出していた可能性があります。そこで試験機が示した異常な応答が、今回の現象を理解する鍵になるかもしれません」
速水は黙って頷いた。すべてのピースが、少しずつ繋がり始めている。そして、その先にあるのは、人類がまだ経験したことのない宇宙空間での物理現象なのかもしれない。
(続く)
*1 南大西洋異常帯:地球の磁場が特異的に弱くなる領域。この上空では宇宙からの放射線の影響を特に受けやすい
*2 オーロラ帯:地球の磁力線が集中し、太陽風との相互作用が最も顕著に現れる極域の領域
*3 非線形共振現象:複数の要因が複雑に絡み合い、予測不可能な形で振動が増幅される現象