35年ぶりの母のおはぎ
今日は
嬉しいことがありました
35年ぶりに
母の手作りの
「おはぎ」
を食べたんです
朝1階に降りると
一緒に住む母の台所に
出来たての「おはぎ」があって
びっくり!
「どーしたん!」
「おはぎ作ったの?」
「うん
もういいかなって思って
作ったんよ」
料理が得意で
なんでも手作りする母が
唯一作らないもの
それが おはぎでした
それには理由があってね
35年前
それを作った日に
娘が倒れて病院に運ばれたから…
なんです
私が高校1年生の時でした
3つ年下の妹が
学校で倒れて病院に運ばれたんです
頭の中に悪性のものが出来ていて
それが ものすごく大きくなっていて
大切な場所にできてるから
手術で取り出すことはできなくて…
もしかしたら
大きな病院に移るまで
持たないかもしれない
厳しい診断でした
私が人生を振り返ったとき
一番悲しく辛い思い出は
間違いなく
この日のこと…
ものすごい衝撃だったのを覚えています
妹はその後
26年生きることが出来ました
最先端の治療を受けることが出来て
一命をとりとめて
その後ももうダメかな?
という時に
いつもタイミング良く
新しい治療法に出会うことができたからです
最先端だからこその
副作用・後遺症とも共存しながらだったけど
最後は寝たきりだったけど…
それでも
39歳まで生きることが出来ました
でもね、
母にとっては
娘が倒れた日のおはぎは
悲しいジンクスとして心に残ったようで
その後
どうしても作ることが出来なかったのです
おはぎを作ると
あの日を思い出すし
不吉なことが起こりそうで…
叔母が作ってくれる
おはぎを食べながら
「お母さんのおはぎの方が
絶対美味しいんだけどなぁ」
っていつも思っていました(笑)
「また食べたいなぁ」
思っていたけど言いませんでした
35年振りに食べた
母のおはぎは
やっぱり美味しかった
35年前のことを思い出して
こどもを自分より先になくした
親の気持ちを想像して
涙が溢れました
母は
とても慎重に過ごしていました。
「大丈夫よ!」
と私が言っても
学校に行った孫が
無事に帰ってくるのを
ソワソワして待ってました
帰ってきた息子がおはぎを食べて
「ばあば!最高👦🏻👍🏻」
「さーちゃん(叔母)のより
美味しいで!」
それを聞いて
「ほんま?
また作るわ!」
にこにこ笑顔の母でした
妹のことを思い出したので
次は私の自慢の妹について
書いてみようかな?と思います
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