左利きー幼少期の思い出など
私のあだ名は"ぎっちょ"だった。(今では差別用語?)
今は左利きはサウスポーなどと呼ばれたりして市民権を得ているが、
私が幼い頃は左ききは異質な存在だった。
最初の他の子との違和感は幼稚園での折り紙だった。
「右側、みんなが箸を持つ方を折って」と保育士(当時は保母さん)さんの説明。まだ母から右と左はどっちがどっちというのを教わっていなかった私。”右”っていうのは箸を持つ方なんだと思い込み、逆へ逆へと折ってしまう。周りを見回してみるとあれ?私の折り方何でみんなと違うんだろうだう?
わかったときにはもう手遅れ。まったく作品にならない。
夏の浜辺のスイカ割。目隠しをしてぐるぐる、そこからスイカの方へ。
その時、「右!右!」っといわれても私の感覚では「右」が「左」なのだ。
左に進んでしまう。そうすると大人が言い換えてまた「お箸持つ方!」
ますます左に進み、制御不能。回りももう言うのあきらめている。スイカ割なんてどうでもいい。早く終わらせたい。適当にバットを振り上げてとんでもないところで砂にゴツン。
これは今でもとっさに街で道を聞かれると、間違って右左を問われると逆を言ってしまうことがある。(間違って教えちゃった人ごめんなさい)
いまだに視力検査の際は検査前に右側がどっちか頭の中で確認。
小学校に上がると、母は左手で鏡文字を書く私を見て初めて本当に私が左利であることに気づいた。当時はまだ女の子が左利きははしたないとの思いから、いきなり右利きに矯正しようとした。
今迄とガラッと環境が変わった。家で字を書く練習を母とした。左しか使ったことがない。右手で鉛筆を持っても握力がないのでへにゃっとなってしまう。左に持ち替えたくなる。母は私にペンを持たせるとひもで括り付けて左に持ち替えられないようにする。
学校では私に「ぎっちょ!この漢字左で書いてみて!」「あっ、こいつ逆に書いている。ぎっちょ面白い」といじめる男の子がいた。絵を描くのも、本のページをめくるのも皆とは逆。事あるごとにすべてからかわれた。
小学校1,2年は字を右で書くのに直すので手いっぱいだった。ストレスがたまり、精神的につらかった。でも母にはこわくて文句言えない。
勉強どころではない。算数、国語など余裕のない私にとってはついていけない。テストなんてさっぱり。
こっそり隣の秀才君の答えをちらっと見て、全部だと良心の呵責があるので、3割ぐらい写させてもらって、「0点」を阻止した。そのうち学校にも行きたくなくなった。風邪ひいて休めればいいのにと願うばかり。そんな私の通信簿はすべて「努力しよう」だった。
食べるのだけは生理的なものなので泣いて母に勘弁してもらった。
母としては直したいところだったが、今も左。
何もかも遅れている私。すべてに自信のなかった私だったが、3年生ぐらいになるとようやく右手で字がかけるようになってきて、学習の遅れも取り戻せた。
3年生から習う習字は、左手ではおそらくとめはねが無理だったので、習い始めから右で教わることができてセーフ。
そしてスポーツでソフトボールなど左利き有利なのもあって得意だった。
ピンクレディーの”サウスポー”イメージよくしてくれてありがとう!
左手を使っていかに世の中に順応するすべも徐々にわかってきた。
少しずつ性格も明るく積極的になってきた。
字は右、絵、料理、ハサミは左。新しいことを習うときは右。二刀流で乗り越えることができた。
今では左利きなのを一つの自己PRとして使える。開き直って左利きあるあるで会話が盛り上がったりもする。
母に対しては、今では右手に直してくれたことに感謝している。
世の中はやはり右手が便利なようになっている故。
ただ、やはり幼稚園に上がる前に直してもらったらもっと苦労はなかったかなと思う。
幸いなことに我が子は2人とも右利き。しかも私が教えなくても保育園で自然に右左が身についている。こんな私が右利きの子にはじめてを教えるのはとても困難。親子間、右、左ややこしい問題に巻き込まれずよかった。助かった~。神様アリガトウ!
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