"筋の良さ"で手を評価するのはナンセンス
将棋でよく、
「あの人は筋が良い」
「この手は筋良いねー」とか
逆に
「この手は筋悪だな」
という風に、将棋には筋の良し悪しというものがある。
これを言語化するのは難しい。
一般的に言えば、駒を効率よく使えるか、ということだろうか?
歩だけで相手の陣形を見出したり、駒の連結が良かったり。
一般的には筋が良い手は「いい手」であることが多い。
だが、筋悪だけどいい手、ということも、稀によくある。(笑)
金銀を重くベタッと貼り付けたり、無心でゴリ攻めしたり。
いわゆる筋の悪い攻めが、その局面において何より効果的であることもザラにあるのだ。
確かに、強い人は筋が良い。
でもそれは、筋の良さを求めて指しているわけではなく、その局面における最善手を読んでいけば大抵は筋の良い手に行き着くというだけだ。
そういう人は、筋の悪い手が最善手だったとしてもちゃんと指すことができる。
もしかすると、その人にとっては筋の良い悪いの概念すらないのかもしれない。
「筋の良さ」を指針に手を選ぶということは、ある意味では自分の可能性を狭めてしまうことにも繋がってしまうんだと思う。