
絵を描くこと、文を書くこと、カモメについて
絵を描くのが好きだった。
といっても、私が描く絵というのは、
そのとき思いついた色の油絵の具を、キャンバスにペインティングナイフを使って塗りたくるといったものだ。
とても油絵を描いていると言えたものではない。
何か既存のものを見て、それを真似して描きたくなるときもあったが、
何も考えずに絵の具を塗り始めてから、こうしてみたいというアイデアが出てくることもある。
写真の絵は、後者のものだ。
まずは、大量の絵の具を、全体に適当に塗りたくった。
そのうちに、ゴツゴツした質感を持たせた黒で全体を覆いたくなってくる。剥き出しの地面、または暗闇に見えてくる。
すると、今度は、暗い地面から、小さくてカラフルな色の花が控えめに広がっていきながら咲いてくるイメージが湧いてくる。
それを表現する。
ここまでで、一旦、納得して手を加えるのをやめる。
数年後。
またこの絵に何か加えたくなってきた。
湧いてきた欲求は、「衝動」のようなものを表現することだった。
ただ、原色のままの絵の具を画面に垂らし、筆を使って広げていく…
そのように出来たものだ。
これが何なのか自分でもわからないが、なぜか大切にしてあげたい気持ちになる。
それから、さらに数年後。
つい最近、ある人からアドバイス(指令)を受けて、現在書いているような文章を書くようになった。
言われた時点では全く書ける気がしなかった。
仕方ないので、メモ帳に、思いついた事を適当に書くことから始めた。
書いているうちに、この文の後にはこのイメージのものを書きたいということが、徐々に出てくるようになってきた。
絵を描いていた時と同じだ。
言葉には意味があるため、ある程度整合性がつくようにしなければならないが、
基本的には絵を描いている時と同じような感覚で、この文も書いている。
不思議なことだが、そうなると文章を書くことが少し楽しくなってくる。
大したものではないのかもしれないが、それでもそこに「何か」が宿る。
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竹原ピストルの『カモメ』という唄がある。
美しい唄だ。
”青を塗って
白を塗って
一息ついてから最後に僕の気持ちを塗った
空の絵を描いていたつもりが
海みたいになってしまって
開き直ってカモメを描いた”
生きているということのどうにもならない哀しさや、それでもそれを受け入れて生きる人の強さ・美しさがダイレクトに伝わってくる。
自分の色を塗ると実感が出てくる。楽しくもなってくる。
でも、世間や社会の基準との整合性が取れなくなってしまうときがあると思う。
苦しんだ末に、その矛盾を(開き直って)受け入れられた人は、美しいと思う。
ちなみに…
絵の画面には、直接の表現が叶わなかったかもしれないが、
カモメを描いたことによって、空との繋がりを取り戻したのではないか。
個人的にはそんなふうに思っている。