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久しぶりに悩んでいる。

昨日、男友達五人で外食に行った。

そこで話した内容をまとめると「共通の友達の悪口」と「悩み相談」の二つだ。

ここで悩みが発生した。あまりにも退屈過ぎる。

友達の悪口を話している間、一切問題解決に向かわない。

友達の行動がどうすれば改善されるのか。そもそも他人を改善させようなんて傲慢な考えなんじゃない?みたいな話がしたいのに、話は平行線のまま同じことの繰り返しだった。

それが退屈だった。

友達が悩み相談をしているのを受けて、僕は他人に関する興味が薄い傾向にあると再認識させられた。

他人が悩んでいることに言及しているnoteを投稿しておいてなんだが、一言で言うと「他人の悩みなんてどうでもいい

友達や他人が嫌いだからどうでもいいと思っているのではなく、考えてもわからないから「どうでもいいと腹をくくることで無駄なことを考えないようにしていると言ったほうが正しい。

これは、友達と一線を置いているのも関係している。

友達と言えど他人だし、他人を変えることは難しい。

変えることが難しいものに固執して疲弊するのを避けたいから一線を置いている。


悩み相談も問題解決に方向が向かなかった。悩みを吐露するだけだった。

悩みを解決するために、僕が情報を集めていく段階で友達の悪口に視点が変わってしまった。

おそらく、僕はその友達たちに「期待」していた。
自分は他人に期待しない人間だと思っていたが、どうやら違ったようだ。

どんな期待をしていたのか。
食事の場でつまらない悩みや愚痴を言わない人間だと期待していたのだ。

ただ、僕が圧倒的少数派であることは重々承知している。

なので

社会でうまく生きていくためにそういった人たちに迎合すべきなのか。


迎合すべきなら具体的にどうしたらいいのか。


などで悩んでいます。


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