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思春期の自分と大人の自分
マンガやアニメが大好きだった、幼少〜20代半ばまでの自分。2次元で活躍するのはほぼ例外なく子どもだ。私が思春期まっさかりだった中学生のころ、日々はそれなりに楽しく、今振り返ると「子どもだったもんな」で終わるのだが、創り手にとってはそう易々と終わらせられるテーマでもあるまい。
物語を紡ぎ出すのは、一部の例外はあれど、その多くは「思春期を通り過ぎた大人」だ。であれば、リアルタイムでは味わえない感情を、大人になった今の感性でも描けるというのは、どういうシステムなんだろう?
思春期のころと大人になった今とでは、考え方感じ方がまるで違う。そこにいいも悪いもない。
今では気にも留めないようなことが一番の重大事項であったり、自意識がジャマしてできなかったこと、子どものころはいっぱいあったけど、大人になったらむしろそんなことは気にしていられなくなるし、繰り返すうちに慣れて何も感じなくなったりする。
あれかもな。結局はリアルな思春期を描いてるようでいて、それは「大人になった描き手が表現する思春期」なのであって、現役の中高生が現在進行形で感じているリアルな感情とは少し違うのかも。書いてて腑に落ちた。ひとりで納得すんなよな。
逆に今だからこそ思春期を客観性を持って鮮やかに描き出せるのかもしれない。
リアルタイムで原作やアニメを追っかけるほどハマっている作品がなくなってもう5年になろうか。だけど、アリスとテレスを観てちょっと衝撃を受けちゃったね。私の中の岡田麿里って、「あの花」「ここさけ」で終わってたモンだから。こんな作品創るようになったのか、完敗。小説版も即買っちゃったし、ちょっとずつ読み進める予定。
これを観たことで、本当に久しぶりに2次元に心をガッツリ揺さぶられた。何年振り?創作意欲をインスパイアされるほどだから、本当に5年に1回あるかないかだわ。
27歳のころ、私はアニメ「風が強く吹いている」のオタクでした。あのころとても楽しかった。
とはいえ、一次二次問わず創作物を創り上げたことなど、今までの人生で一度たりともない。(小学生のころのマンガ除く)発狂妄想文を萌え狂いながら当時のTwitterにツイートしまくったことは数知れないが、まともな「作品」としての体を成したものを、私は思春期以降一度たりとも創り上げたことがない。えっ、恐怖。何のためにオタクやってきたんだろう?感性のムダ打ちでは?
現実のカスさに打ちひしがれて、死に体になりながらもギリギリのところで生きてこられたのは、2次元がとなりにいてくれたからなのに、クッソゴミみたいな現実のせいで俺は忘れていたようだ、2次元の尊さを。あろうことか、捨て去ることが大人になることだとさえ思い込んでいた。だけどやっぱり俺の根源は2次元とともにあると思わされた。
それにしてもやはり3次元はカスだな。2次元のよさを霞ませるといった意味合いで。現実の人間がクソだというのはもうこれ以上なくわかった。わかったからもういい。
といって、2次元に傾倒できるほど分別のない年齢でももうないのだ。生活のための仕事を今すぐ手放すこともできん。情けない俺はワーキングプアゆえに金がないのだ。ぴえん。
まぁでもなんだろうな。私は労働が世界で一番キライだったんだけど、一生懸命やってるうちに、べつにそんなにキライでもなくなってたわ。力抜いてできるようになったから今だからこそ、また2次元のもとに帰ってこれたともいえよう。
でもやっぱり3次元のつらさはつらいよ(語彙力)。なんせ乗り越えるのに約15年かかってんだから。現実と折り合いつけるのヘタクソすぎない?!
俺の出した結論は、「俺は俺、おまえらはおまえら。俺は社不な俺でしか生きられん、おまえらにはこれ以上迎合せん。俺は俺が楽しくあれるような生き方をしていく。」です(暫定)。