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まぁたしかにな

 昨日ゲッターズ飯田先生の2025年版占いが発売されたので即電子書籍を購入。占いというよりは人生の指南書として読んでる節がある。最初の方にある基本的な性格と、一年の全体運は熟読し、折に触れては読み返している。いい日悪い日、いい月悪い月があるけれど、その辺は気にしすぎると病むのでほどほどにしている。来年は4年続く幸運期のうちの2年目。
 今年、本当は跳ねる年だったんだけど、こんなメンタリティではふつうにムリだったわよな。いい占いを「当てに」行きたかったです、先生。
 何をするにしても、第一に健康、次は金、さらに時間も必要になる。ちゃんと毎月貯金ができて、歯医者にも通えるだけのお給料がもらえるホワイトなところに就職しなきゃなあ。

 今の職場にいるのが苦しくて、でも、ここで苦しいのは自分だけなんだろうっていうのも薄々わかってて。外向的な人たちに囲まれてると、息がつまって泣きそうになる。原因は自分にあることなんて明白なんだ。
 大人になって、できないなりにできるようになったと思っていた他人との会話。やっぱり全然できてなかったんだと思わされる。せっかく振ってくれた話題に、面白い返しや、いい返しができない。申し訳なくなる。
 その度に日ごろどんなにぼんやり生きてきたんだろうって反省する。確かに毎日やりすごすだけで必死だった。
 私にとってはみんなが当たり前にやっている人間関係の構築が、どうしても上手くできなくなってしまって、そのくせボッチは嫌だだとか、さみしいだとか、そういう感情だけは一丁前に持っていた。やさしい人に甘えて、いつだって待ちの姿勢で。けれどそれらすべてを周りのせいにしていた。私は自分のことすらよく知らずに生きていた。
 もう原因なんか探ってる場合じゃない。苦手だから最低限でいいって思ってたけど、本当は最低限すらできてないってわかってる。恥をかきたくない、そんな気持ちでいつもパンパンで。私はいつも自分の痛みにばかり注意を払っている。そんなんだから、相手を楽しませようという余裕なんか全然ない。
 外向的な人たちから学ぶことはたくさんある。あまりにも自分と違う人たちだから、自分だったら絶対にしないアプローチで仕事をしたり、人と関わったりする。それを間近で見ていて、「それもアリなんだ」「そんな上手いやり方があるんだ」という発見を毎日している。
 良くも悪くも人間なんて、他人にそんなに注意を払ってないし、気にしているのは自分だけなんだってこともよくわかっている。けれどその一方で、みんな似たようなプライドは大なり小なり持っていて、傷つきたくない気持ちは誰にでも多かれ少なかれあるってことも本当はわかってる。
 頭ではよくわかっていても、外に出さなければ、言葉にしなければ、ないのと同じことになる。苦手でも、ちゃんと口に出さなくちゃ。

 先週は本当にうつがひどくてな。久しぶりに自暴自棄になったし、かろうじて通勤はしていたけど、今となってはもうほとんど記憶がないよ。さすがに反省して、今週はよく寝てよく食べるを心がけた。カフェイン摂取もやめたし、お菓子をごはん代わりにすることもやめた。マックは月金で2回も食べちゃったけど。結果だいぶ回復した。
 もう誰も怒らないし、怒ってくれるような人はいないってのに、未だに失敗を恐れて最低限の動きしかできないこと、本当はもう飽きてるしやめたい。もういいんじゃないか、やりたいようにやっても。
 人と関わるのが苦手すぎてうつ病にまでなってしまったけど、一生苦手なままではいられないってことも本当はもうわかってる。それなのに、いつまでもいいわけばかりして動けずにいた。
 ひとりでも気高く生きていけるだけの能力に秀でているわけでもなく、人と仲良くするのはそれ以上に苦手で、今の私は本当に何も持ってない。あるのは他人を恨んだり、羨んだりする気持ちと、過去を掘り返してあーでもない、こーでもないとメンヘラの沼にハマるクセ。ろくでもないのは私だってよくわかってるのに、認めたくなかった。誰かや何かのせいにすれば、気がラクだったから。

 加齢とともにオタクですらなくなって、何にも熱量も興味もなくて、老いてやさしくなった親に甘えて電話してばかりの、ろくでもない独身一人暮らしオバハン(32)だけど、いいかげん赤の他人と対等に渡り合う術を身につけ、自分だけの世界に閉じこもるのをやめ、もうすこし世間の人が興味を持っていることに、目を向けて見ることにする。

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