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どこでどう間違えたんだろう

 生まれた時点で。なんて言うのはどうしようもなさすぎるからやめるけど。寿命まで生きていくしかないんだから。
 「若いころにもっとああしてたらよかったのに」なんて後悔はもう散々したし、したところで意味も生産性もない。
 今の私は何にも一生懸命じゃない。そもそもやっぱり向かないのかもしれない。会社員。
 陰キャだから、働くことは「割り切り」によって成立させてきた。義務だから、やらなきゃいけないから、だからやる。それだけのこと。業務そのものも、業務を円滑にするためのコミュニケーションも。「したい」からじゃない。「すべき」だから。
 現弊社で現時点の私には役割が与えられていないので、何もやる必要がない。私ビックリしてる。これが本物の空虚だと思う。
 リアルガチハタチのころ、こういう「お手伝いしゃん♡」みたいな仕事をしていたことはあるが、マジで…こんなこと続けていても全く自分のためにならない。こんなんだったら履歴書に何も書けないんですけど。
 若いころは若さという武器で未経験採用が叶うけど、30超えたら「あなたは今まで何をやってたんですか?」という判断基準で見られて当たり前になる。何も言えないよ、こんなんだったら。
 自分の人生に責任を持って生きるようになったのがようやっと去年のことで、そこに至るまで15年近くウダウダし続けてきたわけだけど。もしかして、もう遅いんだろうかと恐怖が忍び寄って来ている。

 元弊社で薄給激務であることに散々ブチ切れてきた私だけど、役割が与えられていたのは、すごくありがたいことだったのかもしれない。一人のプレイヤーとして数えられていることは、重りにもなったけど、生きる理由でもあったのだと思う。
 どうあがいても器用にも前向きにも生きられなくて、集団の中ではどうしたって「取り繕った自分」でいるしかなくて、なんでこんなんなんだろうって、なんでこんな生き方しかできないんだろうって、どこに行ったって何をしたって満足しなくて、結局は暗い自分のまま。
 周りの人は「その人にとっての普通」で生きてるだけで、私だって「私にとっての普通」で生きてきただけ。私にとっては人付き合いが本当に難しくて、だけど周りの人にとってはそうじゃないだけの話で。
 多分ね、普通に就職して普通に結婚できる人たちにとっては簡単なことが私にとっては本当に難しいんだと思う。みんなが軽々やってのけることが、私には重々しくしかできない。
 だけど、だから私がダメだとか、そういうことを言いたいんじゃない。彼ら彼女らにとって、できることをしているだけなんだって言うんなら、私にとってできることをすればいいんじゃないかと思う。
 考えてもみろ。ものすごく苦手なことをわざわざやりたがる人が大勢いるか?みんな苦手なことを選んで仕事にしてんのか?違うだろ?
「できるから」やってるんじゃないのか?「やりたい」よりも「できる」とか「向いてる」とか、そういう適性の話なんじゃないのか?
 ということは、私のような陰キャが生き残る道が必ずどこかにあるはずなのよ。私は私に向いていることを仕事にすればいい。

 新卒でいい会社入って、高待遇の下働くことがもっともイージーだと信じて疑わない私だけど、そんなことは今さらどうあっても叶わないのだから、少しでも前を向きたい。他の誰かがどうだとか、世間ではこうだとか、そんなのって関係ないんじゃないのかな。もっと自分だけの生きやすさを追求した方が、多分幸せになりやすい。
 誰かと仲良くしたいとか、本当にあまり思わないんだ。ただ本当に自分が気に入った人間とだけ、本音で付き合っていきたいんだよ。
 そういう自分の今さら変えようもない本質を、否定せずに向き合い追求すればきっと最適解に辿り着けるはず。

 久々にまともに文章書いた。めずらしく最寄りのマックなんかで書いちゃってさ。乗り物に乗って通勤するようになったから寄り道はしやすい。けどさすがに月〜木は翌日のことを考えてほぼ直帰だったもんね。金曜くらいは己を労っても許されるでしょってことで外食しちゃった。土日バチクソうれしいな。めっちゃ疲れた。

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