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引け目を感じたら負けるぞ

 という思いで生きてる。テクニックとしてへりくだるならともかく、必要以上に下手(したて)に出ればナメられるからだ。仕事でも私生活でもそれは変わらない。今までいかに人と関わってこなかったかを痛感してる。
 病むのなんて大抵自意識過剰で人見知りな人間ばっかりよ。で、承認欲求に飢えている。(かつての私です)
 そんなんだったから、周りの人間を「格上」認定しちゃってんのよ。無意識に。そういうのって引け目となって表れるし、相手にも伝わるもんよ。で、「コイツ弱いヤツだ」判定されてターンエンドよ。
 申し訳なさそうにするのは、間違ったとか、迷惑かけたとか、そういうときだけでいいんだよ。それ以外でビクビクしてたら容赦なく踏みつけられるからよ。

 内省はもう十分したし、「もうこれ以上何もありません」ってとこまでたどり着いたし、自分ひとりの世界で引きこもって生きていくのは限界なんだよ、どう頑張っても。
 生まれだの育ちだの、才能だの能力だの、関係ないとは言わないけれど、恵まれなかったそれらを「やらない言い訳」にしてた自分はマジで終わってたなと思う。
 ないなら自分で伸ばすなり埋めるなりすればいいだけの話だったんだよ。

 メンヘラを通過したから思うことだけどな。渦中にいると客観視なんかとてもじゃないけどできねーよ。とにかく「私ってかわいそう」「愛されたい」「しにたい」の3部構成なので…
 メンヘラは本当に「事実をありのままに捉える能力」が弱いんだよ。必ず自分の解釈を間に挟まないといけない。目の前の真実を直視すると、太陽に目を焼かれるがごとく精神にダメージを受けてしまうから。
 おまえの解釈はおまえだけのものの見方なのだから、世界には通用しません。ないよりはマシかもしれないけれど…
 結果として、今、自分がどうなってるのか?それがすべてではないか。悩んで何も行動しなければ、いくら悩んだとて、何もやらなかったことに変わりはないのだから。悩んだだけむしろ労力をムダにしている。であればむしろ何も考えない方がいいまである。

 昔はね、「行動して失敗するくらいならしぬでござる!!!」という絶対に働きたくないニートのムーブをかまして生きていたんだけど、今は「失敗してもしなないから」のマインドで生きている。
 やらないよりやった後悔よ。ホントに。やったからといって富や幸福を必ず得られるわけじゃない。そんな保証はどこにもない。表面だけ見れば10年後も変わらず、「42歳独身の女」でいるかもしれない。けれど、何もしないで「すればよかった」という後悔をもうしたくないのよ。
 後悔って遅効性の毒のように効いてくるからね。易きに流れればその瞬間はダメージを受けずに済んでも、未来の自分が何倍ものダメージを喰らうんだよ。
 だから後悔のないように生きなきゃなって思う。

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