【中東】戦争とテロ
今もなお戦争や紛争、テロ組織の活動などが確認されている、世界で最も複雑な地域の一つ。
「中東」。
「中東」の定義は正解があるわけではありませんが、日本の外務省では、東はアフガニスタンやイランから、アラビア半島を回って北はトルコまで。15か国が「中東」だとされています。
イスラエルとハマスとの戦争は現在も停戦の兆しは見えず続いています。中東に関するニュースを見ていて思うのが、あまりにも複雑すぎるということです。理解しようにも多くの要素が絡まっている。もう少し分かりやすく三つくらいに分類して説明できないのか。
そういった考えから、今回は第一弾。
中東の、「戦争とテロ」について。現在に続く連鎖のきっかけの一つである、冷戦時代のアフガニスタン侵攻から見ていきます。
アフガニスタン侵攻(1979)
テロ組織である「タリバン」や「アルカイダ」などが生まれたきっかけが、ソ連による「アフガニスタン侵攻」(1979)です。
アフガニスタンの内政が不安定化したことを受けて、ソ連としては隣国に共産党の敵となる政権が出来ては困るため、内乱に乗じて侵攻し傀儡政権を作りたい。そうして起きたのが「アフガニスタン侵攻」です。
アフガニスタンはイスラム教の国で、ソ連は宗教を否定する社会主義の国です。アフガニスタン侵攻は、中東諸国のイスラム教徒たちにとって許すことは出来ません。イスラムを守るための戦い「ジハード」のために、多くの戦士が中東諸国から集まりました。彼らを「ムジャヒディン」と言います。
時は冷戦時代、ソ連を中心とする社会主義陣営とアメリカを中心とする資本主義陣営が対立して勢力を争っていました。このアフガニスタンにおいても、ソ連に対抗してアメリカが介入しました。ムジャヒディンたちに対して、大量の資金と武器を援助したことによって形成が逆転。結果として、ソ連は撤退することになるのですが、戦場となったアフガニスタンでは民族同士が対立して不安定な状態が続きます。アメリカはソ連にダメージを与えたいだけなので、アフガニスタン自体に関心は無く早々に手を引きます。
内戦状態のアフガニスタンから難民が隣国のパキスタンに流れました。パキスタンはアフガニスタンを掌握する好機と捉え、難民の子どもたちにイスラム原理主義の教育をして、アフガニスタンに送り込みます。この勢力が「タリバン」です。その後すぐにタリバン政権が誕生して恐怖政治が行われるようになります。また、アフガニスタン侵攻時のムジャヒディンたちを管理する名簿を作る組織が「アルカイダ」であり、のちに反米ネットワークへと変貌していきます。
アフガニスタン侵攻によって、後の戦争とテロの種が撒かれていきます。
クウェート侵攻(1990)
9.11の同時多発テロの首謀者である「オサマ・ビンラディン」が「アルカイダ」に合流することになったのが、イラクによる「クウェート侵攻」(1990)です。
オスマン帝国時代、クウェートはイラクの一部でしたが、第一次世界大戦後の条約で分離することになります。その後クウェートでは大量の石油が発見され、世界有数の石油大国になります。
イラクの当時の大統領は、「サダム・フセイン」。独裁者としてよく知られています。イラク政府としては、クウェートは元々イラクの一部である上に、大量の石油埋蔵量は大変魅力的。クウェートを手中に収めたかった。
1989年の冷戦終結を機に、ソ連とアメリカの監視と制限の力が薄まる頃を狙い、イラクはクウェートに侵攻します。流石にこれには国際社会が反発し、最終的にアメリカ中心の多国籍軍を結成してクウェート防衛のためイラク軍と戦争になります。イラクのクウェート侵攻によって始まったこの戦いが「湾岸戦争」(1991)です。
およそ100時間で決着が付き、イラク軍は敗北。クウェートから撤退します。その後サダム・フセイン政権は存続します。
クウェートの隣には、イスラム教の2つの聖地を有するサウジアラビアが位置しており、同国はイラクのクウェート侵攻に大きな危機感を持っていました。自国の安全を守るため、サウジアラビアはアメリカ軍に助けを求めます。それに反対したのが「オサマ・ビンラディン」です。イスラムの聖地にキリスト教の国であるアメリカ軍が入ることは許せない。そう考えたのだと思います。
結論、異論を唱えた「オサマ・ビンラディン」は国外追放となり、アフガニスタンに行き着き、そこでタリバン政権に迎えられ、反米の考えのもと「アルカイダ」を国際テロ組織にしていきます。そして、2001年のアメリカ同時多発テロに繋がっていくことになります。
ブッシュ大統領(息子)による2つの戦争(2001~)
テロ組織である「IS=イスラム国」や、現在に続くイラクの混乱などを生み出すことになったのが、アフガニスタン戦争(2001~2021)とイラク戦争(2003)の二つの戦争です。
アメリカには二人のブッシュ大統領がいます。前の章で書いたクウェート侵攻(1990)による湾岸戦争(1991)の際のブッシュ大統領が父で、この章で説明する二つの戦争の際のブッシュ大統領がその息子になります。その国際感覚や政治的手腕からよく比較されており、ブッシュ大統領(父)の方が評価されています。
2001年、航空機4機がハイジャックされ、ニューヨーク貿易センタービルや、ワシントンの国防総省(ペンタゴン)などに衝突、同時多発的に自爆テロが起きました。これを「アメリカ同時多発テロ」(2001)と言います。その犯行グループは国際テロ組織である「アルカイダ」であり、計画の首謀者はアフガニスタンに潜む「オサマ・ビンラディン」であることが特定されます。
これを受けて、アメリカのブッシュ大統領(息子)はテロとの戦いを宣言します。アフガニスタンのタリバン政権に対して「オサマ・ビンラディン」の受け渡しを求めますが、タリバン政権はそれを拒否。パシュトゥンの掟という、簡単に言うと客人をもてなし守る、民族のルールのようなものが起因しています。
テロリストを庇ったということで、アメリカはイギリスと合同でアフガニスタンを攻撃し、「アフガニスタン戦争」(2001~2021)が始まります。2011年に「オサマ・ビンラディン」はアメリカ軍に見つかり殺害されますが、その後もタリバン政権は維持され、最終的に2021年にアメリカが撤退を決めて事実上の敗戦となりました。この戦争によるアフガニスタン国内の混乱は現在まで続いています。
少し時を巻き戻して2003年、イラクのサダム・フセイン大統領が、大量破壊兵器所持の疑いによる国連の査察を拒否したことによって、アメリカのブッシュ大統領(息子)がアフガニスタンに駐留していた軍を転戦させ、イラクを攻撃しました。これが「イラク戦争」(2003)です。ちなみに大量破壊兵器は実際にはありませんでした。
結果として、サダム・フセイン政権は崩壊し、フセイン大統領は処刑され、アメリカとイギリスが新イラク政府を樹立させました。彼らはアラブ特有の部族社会や、イラク国内の宗教的、民族的勢力図などを熟知してなかったため、新体制のイラク国内は混乱に陥ることになります。
均衡が崩れたことにより、それまで虐げられてきたイスラム教シーア派が台頭して、イラク国内で少数派のスンナ派への差別が広がり、スンナ派狩りにまで発展してしまいます。攻撃されるスンナ派の一部は武装組織を作り、シーア派の軍や警察と抗争になって内戦が始まりました。その歪みから「IS=イスラム国」が誕生することになってしまいます。
ブッシュ大統領(息子)時代に始めた2つの戦争によって、アフガニスタンとイラク両国の混乱や、中東ひいては国際社会に広がるテロ組織の活動が起きている。他にも要因は様々あるかと思いますが、主には上記の流れであると考えます。
以上、【中東】戦争とテロ、についてでした。
アフガニスタンとイラク。それらに対するアメリカの行動が、どのように現在に繋がっているのかの理解が深まれば幸いです。
ありがとうございました!