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【中東】パレスチナ問題

中東とは、日本の外務省によれば15ヶ国あり、東はアフガニスタンやイランから始まり、アラビア半島を回って北はトルコ辺りまで。

中東に関するニュースを見ていて思うのが、あまりにも複雑すぎるということです。理解しようにも多くの要素が絡まっている。もう少し分かりやすく三つくらいに分類して説明できないのか。

そういった考えから、
今回はラストの第三弾。
イスラエルとパレスチナを始めとするアラブとの対立について、基礎となる歴史の振り返りからなぜ今に至るのか、その構造や要因を簡潔にまとめていこうと思います。

3つの一神教

「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」。
中東といえば「イスラム教」のイメージがあり、実際に多いのも「イスラム教徒」ですが、上記三つの宗教はいずれも同じ中東で生まれ、同じ聖地を持っています。その聖地が「イェルサレム」です。

三つに共通するのは「一神教」であるということ。「一神教」は唯一絶対の神を信仰しています。宗教には他に「多神教」もあり、日本の「神道」は八百万の神に代表されるように非常に分かりやすく「多神教」です。三つは別々の宗教ではありますが、それぞれが別の唯一絶対の神を信仰しているわけでは無く、ユダヤ教では「ヤハウェ」、キリスト教では「ゴッド」、イスラム教では「アッラー」のように呼び方が異なるだけです。

そんな三つの一神教の中で最初に成立したのがユダヤ教です。ユダヤ教からキリスト教が生まれ、その後数百年経ってから7世紀初頭にイスラム教が生まれました。ローマ帝国の時代(前27年~395年)にユダヤ人はイェルサレムを追放され故郷であるパレスチナを失い、キリスト教はローマの国教となり、ユダヤ人は迫害の対象となっていきます。

その後パレスチナにはアラブ人が住むようになり、イスラム教が生まれ、イェルサレムはイスラム教の聖地としても機能していきます。

三枚舌外交

第一次世界大戦時のイギリスによる「三枚舌外交」によって生じたのが、現在も続く「パレスチナ問題」です。

「三枚舌外交」とは、オスマン帝国崩壊後のパレスチナを巡って交わされた「フセイン・マクマホン協定」(1915)、「サイクス・ピコ協定」(1916)、「バルフォア宣言」(1917)の三つの外交を指します。全てに共通するのは、オスマン帝国を打倒するという目的です。

イギリス視点で簡潔にまとめると、オスマン帝国内のアラブ人に反乱を起こさせる代わりにアラブ人の国を作る約束をしたのが「フセイン・マクマホン協定」。英・仏・露の三国で協力してオスマン帝国を倒した後は領土を三分割しようというのが「サイクス・ピコ協定」。莫大な戦費を貰う代わりにユダヤ人のナショナルホームを作る約束をしたのが「バルフォア宣言」。

矛盾していそうで絶妙に「国」ではなくナショナルホームとしていたりなど、矛盾してなさそうに見えるのが特徴です。

結果として、第一次世界大戦後にパレスチナはイギリスが統治することになり、約束通りユダヤ人がパレスチナに移住してきます。最初の内はアラブ人も彼らを受け入れていましたが、時代が進むにつれて現在の対立に繋がっていきます。

シオニズム

「シオニズム」とは、「シオン」の丘に帰ろう、というもので「シオン」とは聖地イェルサレムを指します。具体的に意味することは、かつて追放され土地を失ったユダヤ人の国家を再び作ることです。「シオニズム」運動をする人たちを「シオニスト」と呼びます。1948年にイスラエルが建国されたことで国家を作る目的は果たされました。

それと引き換えに、今まで住んでいたパレスチナのアラブ人は「パレスチナ難民」となり、イスラエルと激しく対立します。そして四度の中東戦争や、現在のイスラエルのガザ侵攻に至るまで、未解決の状態が続いています。パレスチナ人の視点では「シオニズム」はパレスチナへの侵略行為になります。

「シオニズム」が激化した要因の一つが、第二次世界大戦時のナチス・ドイツによるユダヤ人差別とその大量虐殺です。ヨーロッパ中で大量のユダヤ人が虐殺されたことで、ユダヤ人の間に「ユダヤ人の国が無いからこんなことになった」という考えが広がり、その中から過激派シオニストが生まれたいったとされています。

中東=戦争や紛争が多い、というイメージがありますが、その実情は複雑で一括りにイスラム過激派が危険だからとか、欧米の介入のせいだとか、まとめられがちですが、区別する部分は分けて考えていく必要があると個人的に思います。

以上、【中東】パレスチナ問題、についてでした。
三つに渡り中東について記事を書きましたが、少しでも勉強になったなら幸いです。
ありがとうございました!


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