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【学び】現代インドの国際関係

こんにちは、タクミです。

インドと日本は仲が良いか悪いか、どっちだと思いますか?
答えは前者です。背景として援助し合ってきた歴史があります。現在も政治経済の面で協力体制を組んでいたり、両国のトップはほぼ毎年互いの国を訪問しています。

ではインドと敵対している国は?仲の悪い国は?どこでしょうか?。同じアジアの国でGDP世界5位、人口は世界1位となったインドの国際関係について知る重要性が増してきています。

IT業界が進んだ理由

まずは現代インドの経済について。
ご存知の通りインドはIT業界に強く、GAFAMのCEOなど、重役を担うインド人は少なくないですし、優秀なエンジニアも多くいます。

ではなぜインドはIT業界に強くなったのか?。
結論から言うと、「ジャーティ」「時差」「教育」の3つが関係していると考えます。

「ジャーティ」とは血縁関係を重視した職業集団であり、一般的に私たちが「カースト」と呼ぶものはインド人にとって「ジャーティ」を示すようです。具体的にどういうことかというと、職人の子どもは職人、清掃員の子どもは清掃員、農家の子どもは農家、という感じで職業が世襲されており、完全に区分されているのが「ジャーティ」です。

実際には上記のような大雑把な分け方ではなくて、かなり細分化されています。その数なんと3000以上。昔から続いてきた伝統故に、ITエンジニアのような新しい職業は「ジャーティ」には含まれていない。つまり、どんな「ジャーティ」の人でもIT分野で成功する可能性があるということで、いわゆるインディアンドリーム的要素があると言えば分かりやすいでしょうか。

「時差」は上手く使えば非常に効率が上がります。例えばアメリカで夕方頃にインドの会社に注文のメールをすると、インドでは朝1番でメールが届いていて注文を日中の内に仕上げる。そして夜までにアメリカの会社にメールを送れば、アメリでは翌日の朝にそれが届いています。昼夜逆転を利用した、インドへのアウトソーシングは双方にメリットをもたらしました

「教育」に関しては、元々インドの成人の識字率は1951年時点で18%と低く、そこから初等教育を広めたことで2011年には74%まで向上しました。その他、1951年に国家プロジェクトとしてインド工科大学(通称ITT)が創設され、現在世界中の企業がITTから人材を得ようと必死になっています。アメリカのマサチューセッツ工科大学のインド版ですね。

このように確かな土台を作る努力と、運に恵まれて今があるということだと思います。

パキスタンとインドに分かれた

インドがイギリスの植民地だったことは皆さん知っていると思いますが、
いつどのように独立したかはご存じでしょうか?

インドは1947年にイギリスから独立を果たします
独立の立役者となったのは「マハトマ・ガンジー」が有名ですが、日本にもゆかりのある「ボース」という人物も有名です。
なぜ独立できたのか?
時は第二次世界大戦の終結直後で、イギリスは植民地支配を続けることが難しくなる程度には疲弊していました。そこにガンジーの「非暴力・不服従」の運動が重なり、イギリス国民からも植民地支配に対する批判が起こった結果、イギリスはインドの独立を認めた、認めざるを得なかったという背景があります。

実はこの時、イギリス領インドは、インドとパキスタンの二つの国に分裂します
なぜ分裂したのか?というと、「宗教」が関係していました。インドという地には多くの宗教が存在しており、中でも「イスラム教」と「ヒンドゥー教」の二つの勢力が多数いました。ガンジーはひとつの国として独立を目指したのですが、双方の対立は解消されず、パキスタンは「イスラム教」、インドは「ヒンドゥー教」という風に分かれてしまいます。

冒頭でインドと敵対している国、仲の悪い国という話が出ましたが、お察しの通りパキスタンとインドは緊張関係にあります。というのも、両国は三度も戦争をしており、これを「印パ戦争」といいます。
両国の中間にはカシミール地方があります。三度の戦争はこのカシミール地方を巡るものです。カシミールはイギリス統治時代からマハラジャという王様が統治していました。このマハラジャがパキスタンかインドのどちらに帰属するのかを中々決めない。カシミールの8割はイスラム教徒であり、水源の確保という面でも、パキスタンはカシミールを自分たちのものにしたかった。

結果としてパキスタンがカシミールに義勇軍を送り、インドも兵士を送り、戦争に発展して以来、現在も停戦ライン周辺は紛争が絶えません

中国との関係性

インドはパキスタンの他に、中国とも戦争をしています。1962年に起きた「中印戦争」です
きっかけはイギリス統治時代に引かれた「マクマホンライン」という国境線に対して、インドと隣接する中国は不満を持っていたこと、また中国共産党が占領したチベットのダライ・ラマ14世の亡命を、インドが受け入れたことにも不満があったことが挙げられます。

この戦争は万全の状態の中国がインドを不意打ちする形だったため、中国が勝利しました。よって問題の地域であったアッサム地方は現在、中国の主張する国境線まで中国が実効支配しています。この戦争以来、インドにとっての一番の脅威、敵は中国になります

更に現在中国は「一帯一路」を進めています。陸と海の両方にかつてのシルクロードを再現しようとする習近平国家主席の掲げる目標ですが、これによりインドは中国との国境線がある北だけではなく、南側のインド洋も警戒する必要が生じました。インドが日本とのつながりを重視しているのは、同じアジアの経済大国で民主主義である日本と連携することで、こうした中国の脅威に対抗する狙いもあります。

インドの経済や政治、周辺国との関係性、少しでも理解が深まれば幸いです。
以上、現代インドの国際関係、についてでした。
ありがとうございました!


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