最初に言っておくと、STAP細胞はあります。
社会の中でなぜなかったことにされたのでしょうか。
本文
「自発的対称性の破れ」というのは物理学の法則ですが、因果律で捉えた場合の現実世界(現象世界)の真理を説明し、今後の運命を予言していると思います。
生物の誕生、人類の誕生、社会システムの誕生。それから、地球環境の破壊、現象世界という意味での世界の終わり。このような流れはもしかしたら規定されているのかもしれません。その規定とは、弱者が強者を必然的に乗り越える法則のようなものではないかと私は考えています。
そもそも、世界が実在していると私たちは確信していますが、世界というものは最初から実在しない可能性もあります。
私たちには認識限界があり実在の世界を認識することはできません。「神」とか「世界を構成する最小の物質」というのは、合理主義的な、観念的錯覚で、そういうものがあると思い込んでしまうように人の脳が進化(劣化)し、意識(言語(記号を使ったコードの体系)が生まれ)が生まれてしまったのです。それで科学が生まれたわけですが、科学や数学というのは、本質的には人間の現象世界を記号(言語)に置き換える作業です。
因果論的に世界を認識する西欧の合理主義を学問の中心に据えた結果(必然的にそうなったのでしょうが)、地球環境が破壊され、多くの人が家畜化されいるわけでして、みずから自滅を選んでいるようにもみえます。
モノの最小単位という実在物質などありません。あるのは人間の錯覚だけです。人間にとってあるように脳が錯覚するだけです。物質というのは、そもそも観念的な概念で、モノが「在る」と思い込んでしまう錯覚(認知バイアス)が作り出しています。だから、技術の発達に応じて、さらに小さい物質が発見されてしまいます。数学も科学も人間にとっての現象世界でしか通用しないフィクションであることを知らない人は、この方法で実在にたどり着けると思い込んでいるようです。実在世界には何かが在るのかもしれませんが、それは、絶対に認識することができない認識限界の先の世界です。
ニーチェは近代文明(西欧合理主義)の成立を抑圧されたエロスという観点から考えました。西洋合理主義からはこういう発想が生まれてこなかったのですが、ニーチェら実存主義の哲学者は、仏教思想を取り入れて、西洋の価値観に疑問を抱くようになりました。その流れが現代思想まで続いています。
エロスに強いストレスがかかると、脳がより意識的(記号的、言語的)な論理機能を進化させてしまう可能性があるのではないか。
ニーチェは西欧合理主義を根本から否定する「ルサンチマン」の概念を展開しましたが(進化による言語生成機能・記号による認識機能の内部化はチョムスキーの概念)、わたくしはSTAP細胞の話の流れをみていると、どうも、このSTAP細胞の論文は、ルサンチマン思想を生物学的に証明してしまった可能性があるのではないかと考えています。つまり、小保方氏は、意図せずに、最も破壊的な方法で西欧合理主義を否定してしまった。
だから社会的にはなかったことにされたのではないのか。
STAP現象という人間の進化の本質を、極東のサルだと思われている日本人が提唱したことが気に入らなかったのではないか。
巨大資本は科学という幻想、数学という幻想を使って私たち家畜を騙し、合理主義の素晴らしさを刷り込み、世界が良い方向に向かっていると誤認させようとしています。したがって、彼ら巨大資本がかならず独占しておかなければいけない領域というものがあるはずです。そこに極東のサル・日本人が踏み込んでしまったのではないか。意図せずに彼らに疑義を呈することになってしまったのではないか。
パンドラの箱を開けてしまったのではないか。
(以下、引用です)
この記事は以上です。
以上
2024.8.23
読み返した。はちゃめちゃな文章。
この記事はタイトルだけ見てもらえればピンとくる人はピンとくると思う。それでよかった。泥酔して終始意味不明な持論を展開していたのでどうしようか迷ったが、修正するのが面倒だったので後半部分を半分だけとりあえず落した。前半は、なんかよくわからないが面白かったので残した。