百舌鳥・古市古墳群をのぞむ
2019年に世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群を,堺市役所の展望ロビーからながめてきました。最も大きく見えた次の写真の古墳が大仙古墳かと思っていましたが,これは田出井山古墳(反正天皇陵)でした。世界最大面積の墓とされる大仙古墳(仁徳天皇陵)は,さらに下の写真です。
来る途中,大仙古墳のそばを通りかかりましたが,都心のオフィス街に緑が連なる日比谷公園のような印象で,どこからどこまでが墳丘というイメージは全くつかめません。堺市の最高峰から見ても,全体像はつかめませんでした。これでは世界遺産登録を聞いて訪れた観光客も無駄骨かと思えましたが,改めて世界遺産の趣旨を調べてみると,「歴史上の重要な段階を物語る建築物,その集合体」「文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証」と,このあたりの基準が当てはまりそうです(ただし「物証」という点には若干問題があり,被葬者が定まっていません)。本来は観光振興を目的に登録をめざすものではなく,遺産の未来へ向けての保護,そのためにも観光との共存をめざすべきものという趣旨から考えると,観光客が見てもおもしろくない,立ち入れないという姿は問題ないのかもしれません。
しかし,登録以前からいっさい観光対象ではなかった点を考えると天皇陵は状況が異なります。2023年1月,大仙古墳と並ぶ規模の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)で日本考古学協会をはじめとする各団体の研究者8人が立ち入り調査を実施しました。これは宮内庁が2008年以来,条件付きで許可している調査の一環で,今回は初めて墳丘を囲む濠をボートで渡って墳丘に立ち入ることが認められたということです。前回2011年の調査は濠の外にある堤までだったので一歩前進といったところですが,3段構造の最下段を約2時間かけて歩き目視で様子を確認,といった程度の調査にとどまりました。
百舌鳥・古市古墳群に関しては,誰が何のために世界遺産登録を推進したのか,というのがここ数年の疑問です。「世界文化遺産推進室」は大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市が合同で設置した機関ですが,自治体にとっては登録による観光振興は全く望めないことは承知のうえでの,「郷土の誇り」といった程度の動機でしょうか。宮内庁の立場としては土産物でもつくられて陵墓を商売にされるのは困るが,保全が継続されるならまあ良しといった程度の反応と思われます。文化庁は長年,宮内庁とは対立的な立場をとっていますから,この登録を足がかりに天皇陵の文化財としての位置づけを高めようという意図があったのかもしれません。