古墳の堀から流れ出す水

崇神天皇陵とされる行燈山古墳(奈良県)の堀の周りの土手を歩いているとき,意外なものを見かけました。堀の水が外へ排水されていたのです。古墳の正面の立札にはたいてい「みだりに域内に立ち入らぬこと」「魚鳥等を取らぬこと」「竹木等を切らぬこと」という定型文が掲げられていること,堀の水は緑に苔むしているイメージが強いことから,堀も神聖不可侵な閉鎖的なエリアで水の循環もないと思っていました。調べたところ,崇神天皇陵にも近くの渓流から水を取り入れる取水口があり,周辺の田畑の灌漑用水として利用されているとのことです。周囲の堀は侵入者を防ぐために別途つくられた環濠ではなく,掘った土そのものを盛り上げて円形部分をつくる材料として用いられました。前方後円墳の円形部分の高さに土を盛り上げるに必要な,ゆるやかな勾配の工事用道路として方形部分が利用されました。円墳の造り出し部(富雄丸山古墳の銅鏡・鉄剣もここから発掘された)にも,土の搬入口としての役割があったという土木技術面からの解釈です。

行燈山古墳の排水路

水のたまった周濠は,ため池として周辺の田畑の農業用水として利用されました。もちろん古墳の造営場所の決定に当たって,ここは水を引き込みやすいからとか,土石流対策になるといった水利の目的だけで判断するはずはありません。第一の目的は祭祀であり,方角などをもとにした占いの結果も重視されたことでしょう。また,古墳時代には農業用のため池もすでに多数つくられていました。古墳造営後の二次的な目的として周濠が灌漑用に利用されたのでしょう。大仙古墳(大阪府)では,堀の水質が悪化してボウフラがわいたため,排水工事が行われたことがありました。農村部では沼などで蚊が発生するというのはごく自然の風景で,環境悪化というわけではありませんが,都市の真ん中に位置するような古墳は環境対策として水の循環を必要とします。
気づくと当初の意図から大きく話がそれてしまいました。土手を歩いているとき考えていたのは「ここは域内? 歩いていいのかな」という若干の不安と,「堀の水質を保つため排水しているのだとしたら,墳丘のぼうぼうに茂った樹木も何とかしたらいいのでは」という疑問でした。すでに生長する空間を失い四方八方に幹を伸ばしている醜い密林は,”陵墓の保全管理”の理念とはかけ離れています。

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