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ふしぎの海のナディア エヴァンゲリオンとの関連性についての考察
六分儀と申します。
ふしぎの海のナディアとエヴァンゲリオンには関連性が多く存在しているということ、エヴァを楽しむには、ナディアを楽しむには双方向の理解があるほうがいいということをお伝えします。
要旨
庵野秀明の作品には一貫したテーマがあります。
このテーマを象徴するシーンがエヴァにもナディアにも見られます。
それぞれの作品についての解説
ふしぎの海のナディアはメジャーなサブスクだとU-NEXTおよびネトフリで見れます。アマプラは課金すると見れます。
エヴァンゲリオンはアニメ版と旧劇はネトフリ、新劇場版4作はアマプラで見れます。棲み分けしていていやらしいですね。自分は円盤買いました。搾取されるのがむかつくので。
エヴァンゲリオンについて
解説するまでもないですが、エヴァンゲリオンは超大作SFアニメです。
個人的にエヴァンゲリオンは教典の域まで達している作品だと思っています。
特に人間関係の悩みについてはエヴァンゲリオンを5周することですべて解決するように思われます。
ふしぎの海のナディアについて
庵野秀明がエヴァンゲリオンを作る前に作成したアニメです。全39話で構成されており、近年の薄っぺらいアニメと比べるとなかなか重厚です。
ただ、休日を2日ほどつぶせば十分視聴可能です。TIKTOK、およびYOUTUBE SHOUTSで時間および脳を溶かしている暇があるならナディアを見たほうがよっぽど有意義でしょう。
それぞれの作品に一貫して存在するテーマについて
人は一人では生きていけない
エヴァンゲリオンではシン:エヴァでは第三村、旧劇では鈴原トウジ、相田ケンスケら友人やミサト、アスカとの共同生活で描かれています。
ナディアでは無人島漂流編で描かれています。
エヴァンゲリオン25話、アスカの回想セリフにてこのようなものがあります。
「私は一人で生きるの。パパもママもいらない! 一人で生きるの。私はもう泣かないの!
でも、まだ泣いてる。なぜ、泣いてるの?
(中略)
自分で考え、自分で生きるの!
(中略)
誰も私のこと護ってくれないの。一緒にいてくれないのだから、一人で生きるのでも、嫌なの! 辛いの!一人は嫌! 一人は嫌! 一人はイヤぁ!」
このセリフって無人島編のナディアにもバッチリ当てはまります。
ナディアは自分ひとりで生き抜いてきたと自分では思っていました。だからジャンのナディアのことを心配する気持ちを素直に受け取ることができずに単独生活をしようとするわけです。ただ無人島における生活で一人で生きていけるわけもありません。
一人で生きていけるという考えは傲慢でした。ナディアが所属していたサーカスの団長にもいい演技をしたらほめてもらえたり、いいご飯をもらったりしていたわけで、独力で生き抜いてきたわけではなく、周りの人たちと関わりあって生きていました。
一人で生きていけないとうすうす気づいているけれど、素直になれない、助けてと言えない。
アスカにもナディアにも当てはまる出るセリフです。
シンエヴァの第三村においてはシンジが同じような状態に陥りました。人間は関わってくんじゃねえアピールをして三角座りしてましたが、黒波と「どうしてみんなこんなに優しいんだ」「碇君のことが好きだから」という会話をして泣き出します。
この場面でも一人で生きていけないとうすうす気づいているけれど、素直になれない、助けてと言えないという描写がされています。
結論
少なくとも一人で生きていけないというテーマについては庵野秀明作品の中で共有されていると考えます。
近年はネットの発達もあり人とのかかわりがなくても生きていけると思いあがっているインターネット冷笑オタクが多いと感じます。
第三村や無人島などの環境を持ち出すのは極端だと思いますが、しかし結局どんな環境でも人との関わりを断ち切れることはないのだろうなと最近は思うようになりました。ネットも人とのつながりが可視化しにくいだけで結局つながってますしね。
思いあがっているオタクをぶっ叩くにはいいアニメだと思います。
機動戦士Gundam GQuuuuuuXについて
2024/1/17に公開された機動戦士Gundam GQuuuuuuXについて。
公開初日に見に行きました。平日昼だったこともあって中年男性しかいなかったのでうれしかったです。
アニメは庵野秀明監督ということで人は一人では生きていけないというテーマが再度登場するのかとても楽しみです。