ノスタルジックなものをデジタル的に再構築する
最近、Xとかみてると昭和レトロや平成レトロというものをよく目にする。
また、私が子供の頃流行ったゲームのリメイクなどもかなり多い。
こういうのをみると、昭和や平成の時代自分が何に心を躍らせていたか思い出す。
私は北海道美唄市というところの出身だ。
美唄市はかつては炭鉱で栄えていたものの、炭鉱産業がなくなり衰退の一途を辿っている。
私が子供だった頃、美唄市は国道が通っていたこともあってか、炭鉱産業が撤退後もまだ一定程度の人口はあった。
子供もそれなりにいて、学校のクラスは3クラスあった。
色々なことをして遊んだが、私は特にビデオゲームが好きだった。
美唄や隣町の岩見沢にはあちこちにゲームセンターやゲームコーナーがあった。
美唄ではコアビバイ、ルパンなんかが大型のゲームセンターだった。
また、すずらん通りにあった旧美唄生協の3階や、古本や中古ゲーム店のビーフラット、レンタルビデオ店のサンホームビデオなどにゲームコーナーがあった。
岩見沢ではラルズプラザ(旧金市館)の5階や、西友の2階、それにキャッスルという大型のゲームセンターがあった。
岩見沢駅前のツルハドラッグのあたりのも小規模だが、ゲームセンターがあった(名前は忘れたが、ここでよくストリートファイターZERO2やってた)
おもちゃの平野にもゲームコーナーがあったし、ポプラ館みたいな玩具屋にもゲームコーナーが併設されていた。
ゲームセンターには結構色々な思い出がある。
学校ではゲームセンターに行くことは禁止されていたが、子供がそんなの守わけがない。
例えば、旧美唄生協の3階のゲームコーナーはエスカレーターを上がってすぐのところにあったので、友達の一人が見張りに立ち、学校の先生が見回りに来ると一斉にエスカレーターの反対側にある階段から逃げるのである。
プレイ中のゲームをほっぽり出して。
また、友達のプレイを見るのも面白かった。
スーパーストリートファイターⅡXは当時かなりの難易度だったと思うが、高スコアで進めるとラスボスのベガの代わりに豪鬼が出てくる。
その豪鬼と戦う友達がすげぇと思って観戦していた。
友達と冒険をしたのもゲームがきっかけだった。
ヴァンパイアという格闘ゲームがあるが、私は岩見沢のダイエーに入っていた本屋でヴァンパイアの攻略本を買ってもらった。
その本には驚愕の情報が掲載されていた。
各キャラに隠し必殺技があるというのだ。
その隠し必殺技はスペシャルゲージがいっぱいになっている状態で特定のコマンドが入力すると出せるらしい。
早速、コアビバイのゲームセンターで試そうと思って出かけたがヴァンパイアは別のゲームになっておりプレイできなかった。
他のゲームセンターやゲームコーナーに行っても、どこにもヴァンパイアが稼働している場所はなかった。
このことを友達に話したら、岩見沢にならヴァンパイアが稼働しているゲームセンターがあるかもしれないので行ってみようということになった。
だが、我らは当時小学生、親の同伴なくゲームやりたさに岩見沢までいくなど許されるはずもない。
だが、どうしても隠し必殺技を試したくて、親には無断で友達と岩見沢に出向き、隠し必殺技を実際に見ることができた。(親には後でバレて怒られた)
また、ゲームセンターに限らず家庭用ゲーム機でも友達と毎日ゲームの話をしていた。
インターネットのない時代、ドラクエやFFといったRPGをプレイする際に、友達から聞く情報を頼りに攻略を進めたり、或いは進行度ややり込み要素(レアモンスターを仲間にしたとかレアアイテムをドロップしたとかそういうの)の話をしたりした。
初代プレイステーションやセガサターン、ネオジオCDなどのゲームコンソールが家庭用に発売されると、格闘ゲームやりたい人たちはゲームコンソールを持っている友達の家に言って、家庭がゲームセンター状態になることも珍しくなかった。
その中で「それどうやってやるんだ?」だの、「あいつスゲェ」だの言ってコミュニケーションをとっていたのが何にも勝る楽しい時間だった。
今思えば、ゲームをハブとして仲間を作っていたのかもしれない。
しかし、いつしか受験勉強をしたり、恋愛をしたり、仕事で成果を出したり、家庭を持って金を稼がなければならなくなった。
競争の世界に身を置き、個人として戦わなければならなくなった。
仲間は競争相手となり、相手よりも成果を上げるための心躍らないことに努力をしなければならなくなった。
現代人は孤独だというが当然だ。
仲間がいなくなってしまったのだから。
時々思う。
ゲームを通じて、仲間を作れるコミュニティーって作れないだろうか、と。
だが、ゲームというのは著作権的にコミュニティを作ったり、これを持続するためにビジネス化をするのが非常に難しい。
例えばゲームバーというのが何年か前に少し流行ったが、これは著作権法違反となり、摘発の例もある。
では、ゲームセンターはどうかというと収益性からも厳しく、最近は材料不足、人不足ということもあり、箱物というのは非常に高額なイニシャルコストがかかる。
また、仮にそういうものが作れたとしても、すでに分断化が進んだ現代の日本において、そのような場がコミュニティとして機能するとは到底思えない。
そうなると、クラウド上にかつてのような「ゲームを人間関係のハブとする何か」を再構築するのが最も現実的なのかもしれない。
つまり、ノスタルジックなものをデジタル的に再構築するということだ。
それがなんなのかはわからない。
もしかすると、単なる懐古主義者の妄想に過ぎないかもしれない。
ただ、冒頭にも書いたが、様々な昔のゲームのリメイクが発売されていること、Nintendo Switchでのバーチャルコンソールや、PlayStation 3のゲームアーカイブス、PlayStation 4 にアーケードゲームが多数移植されている状況であるし、これらのゲーム配信をしている人も多いことを考えると、かつてゲームで仲間を作った人たちが、過去を振り返っているのかもしれない。
私に「ゲームを人間関係のハブとする何か」なんて大それたものを作れるかどうかはわからないが、とりあえず気持ちが疼いているので、レトロゲームの配信なんてあんまり慣れないことを初めてみた。
続けられるかわからないし、見当違いなことをしているかもしれないが、ゲームで仲間を作ったあの頃のように、何も考えずに、やりたいと思ったことをまずはやってみるのがいい気がするのだ。