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人類の代表と二つの悪

「悪」には、人間をどこまでもひきずり下ろそうとする悪と、どこまでも引っ張り上げようとする悪の2種類あるようです。重要なのは、これら二つの悪の間で難しいバランスを取りながら日々生活することであって、「そんなことは自分には関係ない、皆と同じようにしておけば大丈夫」というような日本人にありがちな生活スタイルこそが、これら二つの悪の思うつぼなのではないでしょうか。
 
Daß wir die Welt materialistisch vorstellen, daß wir uns eine bloße Naturordnung denken, ist die Folge davon, daß wir Ahrimanisches in uns tragen. Daß wir Ideale in uns tragen, welche sich loslösen von der allgemeinen Natur, nach denen wir uns in unserem gegenseitigen Verhalten richten wollen, die uns aber doch nur wie Träume erscheinen müssen innerhalb der gegenwärtigen Weltanschauung, die ausgeträumt sind, wenn nach der Naturordnung die Erde an ihrem Endzustand angekommen ist, das ist die Folge davon, daß die luziferischen Mächte, die ebenso wie die ahrimanischen in uns leben, immerfort das Bestreben haben, den Teil von uns, der ihnen zugänglich ist, ganz aus der Naturordnung herauszureißen und vollständig zu vergeistigen. Die luziferischen Mächte haben nämlich zu ihrer Haupttendenz, insofern sie in uns wohnen, uns so geistig wie möglich zu machen, uns womöglich loszureißen von allem materiellen Leben. Daher gaukeln sie uns solche Ideale vor, die keine Naturmächte sind, sondern die machtlos sind in der gegenwärtigen Naturordnung.
「私たちが世界を物質主義的に表象し、単なる自然の秩序と考えるのは、私たちが自分の中にアーリマン的なものを担っていることの結果です。私たちが自分たちの内に担っている理想、それは一般的な自然から解き放たれ、私たちがそれにしたがって私たちの相互作用を正しく方向づけようとする理想ですが、それにもかかわらず、それは現在の世界観の中ではやはり私たちには夢のようにしか見えないはずのもの、地球が自然の秩序にしたがってその最終的な状態に到ったとき、夢を見終わるようなものです。これは、ちょうどアーリマン的なものと同じく、私たちの中に生きているルツィフェル的な力が、私たちの中で、それにとってアクセス可能な部分を自然の秩序から完全に引き離し、それを完全に霊化しようと絶えず努力していることの結果です。すなわち、ルツィフェル的なものの力は、それが私たちの中に住む限り、その主な傾向として、私たちをあらゆる物質的な生活からできるだけ引き離し、私たちをできるだけ霊化しようとします。こうして、彼らは、そのような理想にはいかなる自然の力もなく、それは現在の自然秩序の中では無力である、と私たちに思い込ませるのです。」(シュタイナー「人間生成学」第9講より、私訳)

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