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【日記】10年前のアイノカタチ。

•平成26年2月28日。

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2014年 筆者撮影

このいつにもまして寒い冬の日に、JR埼京線から205系電車が引退したーーはずだった。

205系電車は1985(昭和60)年に国鉄が開発した通勤形電車だ。
軽量ステンレス車体に界磁添加励磁制御、ボルスタレス台車などを採用し従来車に比べ更に省エネルギー化された。国鉄、JR東日本、JR西日本の3社でのべ1,400両以上が製造され昭和〜平成の鉄道シーンを象徴する電車となった。
東京副都心と大宮駅を結ぶ埼京線では1989(平成元)年から導入が進められ、2001年からは混雑緩和をねらい6扉車が連結された。2013年より最新鋭のE233系電車に置き換えが進んでいた。

5日後、埼京線最後の205系=通称・ハエ28編成は運用に復帰した。折しも高校1年の終わりごろ、何も知らなかった自分は「まだいるのかよ!」という肩透かしと同時に、沿線に住む前から慣れ親しんでいたこの顔に安心感も覚えていた。
(ハエとは車両所属が川越車両センターである意。国鉄時代の名残で電報略号"カ"から来ている。)

2013年 筆者撮影

自分と205系の出会いはよく覚えていない。それもそうだろう。産まれる前から走っている車両だから。その頃の自分は小田原に居り、東京は母の実家。埼京線はその最寄り駅を通る路線という認識だった。地元ではまだまだ113系(所謂「みかん電車」)が全盛の時代で、埼京線や山手線を走る205系ですらも憧れだったように思う。
2006年の春、祖母との二世帯という形で東京に転居し、埼京線は日常使いする路線になった。その頃には山手線から205系は姿を消しており、この車両と言えば埼京線だった。
205系は自分にとって初めての「生活と一体化した電車」だったと思う。

ーハエ28編成が「ATACS」なる新型列車運行制御装置が導入されるまでの予備車であると知ったのは5月くらいだった。鉄道ファンの話題は既に横浜線の205系引退に移っていた。
そんな中でも走り続けるハエ28編成。スジ、つまり運転ダイヤは限定されていたので遭遇するのは容易だったが、エメラルドグリーンの帯は色あせが目立ち、運転台横についた「28」の編成札は赤から白になった。心ないファンに盗まれたのか、車内にはステッカーや号車プレートがはがされた跡が目立っていて、時々乗ると悲しくなった。

筆者撮影

 転機が訪れたのは年が明けた2015年1月。埼京線には、帯を新しく貼り直したハエ28の姿があった。確かちょっと好きだった同級生と話しながら帰った日だろうか。地元の駅でふと見かけ、だいぶ印象が変わったと思った。それまで限定されていたダイヤもE233系と共通になり、快速や通勤快速として爆音をあげて走るようになった。完全復活したように思えた。
それからも編成札が赤く戻ったり、故障したりんかい線車両70-000形を牽引救援したり、9月には埼京線開業30周年を記念して一部座席が特別仕様になったりと、ファンの間で何かと話題を振りまきながら、ハエ28編成は2016年を迎えた。気がつけば南武線の205系よりも長く残っていた。
忘れもしない3月3日。高校の卒業式の朝も乗った。相変わらず窮屈な車内で、一人喜んだ。

筆者撮影

 そして、更に半年の月日が流れた2016年10月27日。ハエ28編成は営業運転から離脱した。
最終運用を知らせる車掌のアナウンスがタイムラインに流れてくる。埼京線という日本屈指の混雑路線の特性上、大きな混乱が予想されるさよなら運転はなかった。当然の判断だろう。だが、自分は晴れやかにこの車両を送り出せる気がした。

学生生活も遠い思い出になり、沿線を離れた今も、その雄姿は記憶の中で輝き続けている。
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今回、突然このような記事を書くキッカケになったのが、引越し中に出てきた一枚のルーズリーフでした。

原作。笑。

大学1年の秋に書いたと思しき怪文書をなんとか供養したいなと思い、投稿します。

ではでは。