私のスーパースターとロックスター
疲れててやってられないぜ。のっけから。体調も微妙に良くないんだけど、ちょっと数日中の身内と仕事(一日に起こったイレギュラーが多すぎた)のストレスというか……その場その場はなんとか平気に切り抜けられたけど、元気で笑って振舞えたけど、自分の中で感情の処理が追い付いてなくてしんどい感じ?
物心ついた頃から、感情の処理が苦手です。人並みの喜怒哀楽はもちろんあるけど、その場やその時はそんなことを出していられないから悲しみも怒りも一旦なかったことにして、全部終わったりひと段落ついたりしてから一人で部屋やトイレやお風呂でめそめそするタイプです。今流行りの繊細さんや発達障害ではなくて、単に家庭環境や性分によるのだと思われます。
大人になった今は、 (一応)仕事も人間関係もそつなく頑張るので友達や先輩が話を聞いてくれるし、随分楽になりました。あたたかい人たちありがたし。けど、今回みたく人様に言いにくいストレスや気付いたら体調やメンタルをやられてしまって手遅れだなって時は、仕事や社会生活に支障をきたさない程度にできるだけ部屋にとじこもって深く深く自分の世界に沈むようにしています。
ひたすら私のスーパースターとロックスターの映像や本や音楽に浸って、他の情報やエンタメを入れない。余計なことを考えないために、ずっとロックスターの音楽をかけっぱなし、スーパースターのプレイ動画を流しっぱなし。本当に、お布団にくるまるように、自分の好きな人たちに現実逃避。それでちょっと元気になってきたらこうやって文章書いたり絵を描いたりして、ゆっくりと気持ちから浮上を待ちます。
私のスーパースターは、サッカー選手の遠藤保仁選手。ロックスターはロックバンド・THE YELLOW MONKEYです。
過去にも何回か触れてますが、私は二十代の数年間、病気療養しておりました。端的に言えば拒食症なんですが、まあ、本当に心身ぼろっぼろで。実家にいたので衣食住の心配はないものの、家族分の家事や祖母の介助やアルバイトや通院やらで毎日ばたばた、今考えても療養というには中途半端すぎてダメだった気がしなくもない。その時、やっぱり死にたいと毎日一日中思っていまして。生きるのしんどいし。でも痛いのは嫌だしな、でももう生きていられないな、の堂々巡り。あの時のことを思うと、今もちょっとぞっとします。
そんな時、ちょうどW杯(2010年・南ア大会)で。父親も私もサッカー好きだからぼんやり観ていて。もともとガンバ大阪のサポーターではあったものの、大学進学やら就活やらで関西を物理的に数年間離れておりましたのですっかりその熱も冷め(それでも宮本恒靖さんは大好きでい続けたミーハーは私です)てました。その、たまたま観ていた試合。遠藤選手のフリーキックが決まったあの試合だったんです。
美しい軌道を描いてゴールに吸い込まれるボール。それを蹴った人の背中がめちゃくちゃかっこよくて、なぜかぼろぼろ泣けてきました。
前述のとおり、私は感情が表に出にくいので、病気してて希死念慮もあるのに、涙一粒その時まで出ませんでした。ただただ無表情。感情がマイナスの極地で凍り付いていた、というのが正しいかもしれない。何を見てもモノクロで、感動はおろか何も感じてなかったかもしれない。それがあの時、あのゴールの瞬間に、パッといきなり鮮烈に動かされました。
生きたい。よく分からないけど、生きてこの人の試合を観たい。
その思いで確実に私の何かが変わって、治療も自立についてもすごくちゃんと前向きになれました。過程ははしょりますが、結果、それから5年後には京都で働いて一人暮らしするようになり、ガンバ大阪のファンクラブにも入会し、何度もスタジアムに足を運ぶように。
なんと、練習場で自分の描いたイラスト付きの色紙に選手御本人にサインをいただく僥倖も(※コロナ前、公開練習の後にファンサービスタイムがあり、そこでサインしてもらえたり写真撮ってもらえたりしたのです)
遠藤選手の好きな所、というと多分一冊本を書けるくらいになるからぎゅっと絞ると、「背中」。飄々としてるし淡々としてるし、特別愛想がいいわけでもクールぶってるわけでもない。分かりやすい熱血さもない。けど、試合中の、目の動きやパスのひとつひとつに意味があって、それが誰よりも「勝ち」に貪欲な気がして。あと、ボールをける瞬間の姿勢?というか体がすごく美しい。本当に、何万回以上の練習の結果がそこに全部詰まってる。そういうのひっくるめて、「背中で語る」人だと思います。だから、その背中が大好きです。
いわば、生死の崖っぷちにいた私を、その背中でぐいっと思いっきり生の方に引っ張り戻してくれたのが遠藤選手。だから、勝手に私の命の恩人で、スーパースターで、ずっと私の一番なんだと思います。十年以上経っても今もその気持ちが鮮やかでまったく変わらないので、多分、このままずっと。
で、長いこと留まっていた生死の崖っぷちで私が死の方に落っこちなかったのは、THE YELLOW MONKEYのおかげ。こっちはもっと付き合いが長いし、これは多分一生ものの出会いだなあと確信する今日この頃。私の唯一無二のロックスター。
他でも何度か書いてますが、そもそもTHE YELLOW MONKEYとは小学校の頃に出会って、学生時代も「なんとなく好き」で傍にい続けていました。残念ながら私がCD買い集め始めた大学生の時には彼らは解散していましたが。
病気してる時、こんだけ読書好きな私が、脳がずっとぐちゃぐちゃで文字が読めなくて。体力がないから絵も描けないし、楽器も弾けない。自分以外の人がみんな幸せそうで、成功しているように見えて、執筆や音楽や絵で食べてる人が憎くて仕方なかった時期でした。だから、どれも受け付けられなかった。
そんな中で、THE YELLOW MONKEYだけは本当にするりと私の心に入り込んで、ちゃんと満たしてくれて。曲も演奏ももちろんだし、あのルックスやライブパフォーマンスも私にはめちゃくちゃぴったり「好き」にハマって。起きてる時間は全部THE YELLOW MONKEY、っていう生活。
THE YELLOW MONKEY聴いてる時だけは、苦しくも悲しくもなかった。ただただ「好き」の気持ちでいられる。死にたいけど、死んだらTHE YELLOW MONKEY聴けないから、まだ死なない。今こうやって書いてても相当ヤバい状態なのですが、本当に心身の麻酔とかモルヒネ的な役割で。なんとか、毎日、それで死ななかったんだなと思います。
その後、まさかの再結成で当然のごとく大泣きしました。念願だった4人そろったライブにも行け(吉井ソロは何度か行ってた)て。嬉しくてあれだけ泣くって、人生で唯一だと思う。今も、吉井さんお願いだから無理しないでと祈りつつ、末永くゆっくり活動続けてほしいなと願っております。
ロックスターにつなぎとめられて、スーパースターに救われて、今の私がある。あらためて書いていて「色々と重すぎるだろう!」とも思ってますが、家族や恋人や配偶者という拠り所がないのでね、私。この先もひとりなのでね。勝手に重い思いを抱えているだけなら許されよう。
私は普段、色んな事に対してストライクゾーンがだだっ広いので、大抵のものを「おいしい!」「かわいい!」「かっこいい!」「好き!」と言ってるし、本当にそう感じてます。サッカー選手もバンドもいっぱい好き(幼児みたいな感想)けど、今みたいに自分に余裕がなかったりあまりにしんどかったりすると、その感度が鈍くなってしまう。どれもピンとこないというか、ともすれば視覚にも聴覚にもうるさく感じられて、そんな自分まで嫌いになる。そうなると、いつまた病気した時みたいな悪いスパイラルにハマっちゃうか分からないので、早めに逃げ込むのです。大好きなスーパースターとロックスターに。
ここ数日、仕事以外の時間は、ひたっすら、遠藤選手とTHE YELLOW MONKEY。御本人たちはもちろん、過去描いた自分の絵も見直したり整理してたり。もう、星まみれ。
これを書いているということは、回復してきている良い兆し。あとはちょっと運動したり、楽器弾いたり(忙しさにかまけて三か月近くほったらかしだよキーボードもベースも)して体を起こしていけばいい。
ああ、そうか、毎年この時期はホーム最終戦のチケットとって楽しみに待ってて……みたいなことをなつかしく思い出したり、吉井さん復活ライブお知らせにほっとしたり。スーパースターもロックスターも、この急な寒さで体調崩してませんように。どういう終わり方だ。今回、思うままに好きな人の名前をたくさん書けたので嬉しかったです(やはり幼児みたいな感想)