友の死

土曜日に友が不慮の事故で死んだ 知らせを受けた時 信じたくない気持ちが強く 塞ぎ込んでしまった。。

友人に初めてあったのは2013年の11月 その時はまだ東北大学の医学部の先生だった。出会ったのは不思議なご縁で 彼はもともとチェロを、弾いていたが 東日本大震災のあと多くの医師とともに
死体の検案に動員され 彼は自分の無力感を感じる。そしてチェロで被災地を回り 皆を勇気づけていたらしい。。

活動は東日本の被災地だけにとどまらず 日本中を災害医療の報告と チェロの演奏でまわり 自らの存在を知らしめていた。長崎にも来られて 県内各地を回ることになっていた。来崎の前に連絡をしたら 声に元気がない。四ヶ所の演奏会場のほかの出演者が全てキャンセルされてしまったという。。「1人で演奏するから 気にしなくていいよ」とさびしそうにいう。

それならば と他の共演者とのセッティングを私がして どうにか開催にこぎつけた。彼は走りながら考えるタイプで それについていけない人も多く 誤解を受けやすい。孤独を共にする人。その孤独をバネにして 糧にして大きくて飛躍して行く人だ。自分だけ走るところは わたしにも通じる。。

大学を退職して 社会人受験で音大に入り直し チェロに専念されるのかと思っていたら 卒業後は栃木に移住し 医者に戻られ 傍らログハウスを作る生活を送られていた。。

羨ましい生活をお送りでと 思っていたら そのログハウスを建設中に屋根から転倒。。亡き人となった。。享年72歳。。

あの笑顔が あの怒った顔が あのぶっきらぼうな顔がもう二度と度と見れないのかと思ったら いてもたってもいられず 葬儀に参列した。これはその帰りの新幹線から書いている。孤独をバネにして 常に自分をセットアップしていた友人。。彼の年まであと十年ある。。私にできること。。私にしかできないことを やっていきますよ。高橋さん。。私が死んだらまた おでん屋さんで飲みましょう。。ごんともや 1000チェロの 思い出話をしましょう。


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