自分を作ってくれた他人

今日大好きだった酸欠少女サユリさんが亡くなってしまった。
学生の時にたくさんサイン会とか色々行ってたいろんなとこ追っかけて
追っかけてくうちに見つけたライブ写真。
仙台の写真とか路上の写真とか見てすごく感動した
誰かの心を動かそうとしたり、誰かにとっての自分であるために、自分のための自分であるために、精一杯歌ってる人を写真に残すことにすごく感動した。興奮した。いつか、いつか撮りたいと思った。
その時カメラマンなんてやってなかった
なんとなく散歩しては写真を撮ることが楽しかったくらい。
だから余計にすごく思春期の自分に刺さった。
酸欠少女さユりの声を心を写真に残してみたいと思った。

その写真や、ライブに出会ってから2週間して
16歳手前の、15歳の夏頃、バイト先の先輩に声をかけていろんなバンドの撮影を初めた。
もうあそこから7年が経った。
7年経って、誰かの音楽に引っ張られて撮っていた自分の音楽の写真は、大した結果は出せず、逃げにも近い形で勉強って言い訳して、ブライダル業界に来た。
7年間夢だった、本当の夢で見ないふりをして諦めた夢、本当にもう一生叶わないと今日知ってしまった。もう会えないのだと、もう声を聞くこともできないのだと知ってしまった。
恩返しがしたかった。
写真を撮って恩返しにはならないかもしれないけど。
ただそれでも無茶苦茶な家庭で育って無茶苦茶に育ってもおかしくなかった自分を、もはや死んでてもおかしくなかった自分を助けてくれた人を撮影して、自己満かも知れないけど、ちゃんとここまで歩いて生きてきたよって言うことが助けてくれた人に対してのせめてもの恩返しになるかと思ってた。
でもいなくなってしまった。
周りみたいにまた声が聞きたいとかはない。
これ以上ないくらい助けてもらった。
楽しませてもらった。
だからせめて命を絶たなくとも、生きていて欲しかった。
でも病気になって色々あってどう亡くなったのかはわからないけど、色々戦った結果亡くなってしまった。
そう選んだのかも知れないし選んでないかも知れないし。
もし選んだとしたなら
彼女に撮って音楽は人生で、伝えることが自分自身で歌うことが自分だったんだろうと思う。
僕はそこまで写真に対して思えない。思えなかった。
思えなくなっていった。
でも今日、夢がいなくなって。
たくさん考えて
悲しくなって気づいたことも色々あった。
あったけどやっぱりぽっかりなんか空いた感じがする。自分の原点がいないんだ。




でもね、たまにでもまた更新の途絶えたこの少女に背中を押されにまた何回も助けを求めに来ようと思う。もうまたこれからも一生きっと救ってもらうけど
恩返しすることもないけど
全て間違いじゃなかったと信じて毎日これからも頑張る。

来世でまた会いましょう
それまでどうかお元気で。

いいなと思ったら応援しよう!