連綿

昭和期の子供文化について
-藤子・F・不二雄作品から考察-


目次


はじめに.. 1

1 昭和期の子供たちについて.. 1

1‐1. 昭和初期の子供文化(1926年〜1945年). 1

1‐2. 戦後の子供文化(1945年〜1955年). 2

1‐3. 高度経済成長期の子供文化(1955年〜1970年代). 2

1‐4. 消費社会と子供文化(1970年代〜1989年). 2

2 藤子・F・不二雄の生涯と作品について.. 3

2‐1. 生涯... 3

2‐2. 主な作品... 4

2‐2‐1.『ドラえもん』. 4

2‐2‐2.『21エモン』. 4

2‐2‐3. 『キテレツ大百科』. 4

2‐2‐4. その他作品... 5

2‐3 作品の特徴と影響... 5

3.作中の子供たちの「ホビー・遊び」. 5

おわりに.. 7

参考文献... 8








はじめに

 このテーマを選んだ理由は、子供の領域から飛び出し、広がりを見せる子供文化について理解することは重要であり、現在発展している様々な子供文化の原点である昭和期の子供文化について理解することも同様に重要であると考えたためである。漫画やアニメ、ゲームなど、その市場をさらに広げ、世界に誇れる日本の文化にするためには、過去を見直すことが必要である。では、昭和期の子供文化について、現在の若者世代はどれほどの理解度を持っているのだろうか。日本史などを通して、様々な日本の過去については学ぶであろうが、比較的現代に近いこの時代の子供たちについては、ミクロな視点で理解を深めようと思わない限り知り得ないことが多い。しかし、昭和から令和に至るまで、我々の身近な存在として継承されている「漫画」や「アニメ」という文化がある。現在の若者世代の多くが昭和の漫画やアニメを愛し、楽しんでいる。こうした現状から、現在の若者が昭和期の子供文化について知る機会として最も多いのは、漫画やアニメの存在だと言える。一部の漫画やアニメの内容から、昭和という時代について詳細に知ることもできるだろう。

そして、昭和期の子供文化について、その実状を鮮明に照らす役割を持っている漫画・アニメ作品の代表として、藤子・F・不二雄の『ドラえもん』を挙げることが出来るだろう。誰もが知っている日本の児童漫画の頂点とも言える『ドラえもん』からは、多くの学びがある。実際に、何人もの学者が『ドラえもん』について研究し、論文や書籍で発表している。本研究の中で『ドラえもん』という作品について詳細に分析していくが、『ドラえもん』の登場キャラクターたちのホビーや遊びに注目することで、昭和期の子供文化についての理解度を高めることが可能となる。このような役割を果たす、媒体としての『ドラえもん』およびその他藤子・F・不二雄作品の考察を行い、解説していきたい。



1 昭和期の子供たちについて

まず、昭和という時代を生きた子供たちの背景について、様々な側面から理解を深めることが重要である。

昭和期の子供文化は、日本の急速な社会変化とともに大きな変容を遂げた。昭和時代(1926年〜1989年)の間、日本は戦争、戦後復興、高度経済成長、そして消費社会の発展といった歴史的な出来事を経験し、それに伴って子供たちの生活や文化も劇的に変わっていった。以下に、昭和期の子供文化の特徴とその変遷について詳しく説明する。

 

1‐1. 昭和初期の子供文化(1926年〜1945年)

昭和初期は、まだ都市化が進んでおらず、子供たちは主に家の周りや自然の中で遊ぶことが多かった。けん玉や竹馬、メンコ、こま回しといった伝統的な遊びが主流であった。また、自然の中での昆虫採集や釣りなども一般的だった。当時の教育は、国家主義や忠誠心を重視し、学校教育は厳格で道徳的な教えが中心だった。国定教科書が使われ、子供たちは「良い国民」になるための教育を受けた。昭和初期の後半は戦争の影響が強く、子供たちは、「戦争ごっこ」など、戦時プロパガンダの影響を受けた遊びや活動が増加していった。また、戦時中は物資が不足し、玩具も木や紙で手作りすることが多かった。


1‐2. 戦後の子供文化(1945年〜1955年)

戦後、物資が不足していたため、子供たちは家にあるもので遊ぶことが多く、石けりやボール遊び、手作りの紙飛行機などが一般的であった。また、終戦直後は外国文化が流入し、米兵が持ち込んだチューインガムやビンゴなどが流行し始めた。戦後の教育改革により、教育は民主主義を重視した内容へと変わり、個人の自由や人権が強調された。教科書も戦前の国家主義的な内容から大きく変わり、より自由な学びが奨励された。


1‐3. 高度経済成長期の子供文化(1955年〜1970年代)

1950年代後半から1960年代にかけて、一般家庭にテレビが普及し、子供文化にも大きな影響を与えた。『鉄腕アトム』(1963年放送開始)をはじめとするアニメや特撮ヒーロー番組(『ウルトラマン』や『仮面ライダー』)が大人気となり、これらのキャラクター玩具も子供たちの間で広まった。さらに、経済成長に伴い、工業製品としての玩具が大量に生産され、プラモデルやブリキのおもちゃなどが子供たちに愛された。特に、1960年代には「プラモデル」ブームが起こり、戦車や飛行機、アニメキャラクターのモデルが人気を博した。また、都市化が進むにつれて、都市部の子供たちは公園や校庭などでの集団遊び(缶蹴り、鬼ごっこ)が増えた。一方、農村部では自然の中での遊びが続いていた。


1‐4. 消費社会と子供文化(1970年代〜1989年)

1970年代から1980年代にかけて、キャラクター玩具やアニメ、漫画がますます大きな市場を形成した。『ドラえもん』や『ガンダム』、そして『スーパーマリオ』など、アニメやゲームのキャラクターが生活の一部となり、これらに関連する商品が子供たちの間で大ヒットした。1980年代に入ると、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)の登場によってビデオゲームが子供文化の中心に躍り出た。家庭用ゲーム機の普及により、子供たちの遊び方はますます家庭内にシフトしたのである。それと同時に、教育競争も激化し、進学塾や予備校に通う子供たちが増えた。高度成長期以降、学歴社会の到来とともに、子供たちの時間は勉強にも多く費やされるようになった。


以上概観したように、昭和期の子供文化は、各々の時代背景と密接に結びついている。戦前は、自然と伝統的な遊びが中心であったが、戦後は、急速に変化し、テレビやアニメ、そして漫画やビデオゲームといったメディアが重要な要素となった。また、経済成長に伴って消費社会が発展し、子供たちは多様な商品やエンターテインメントに触れるようになった。教育面でも、戦前の厳格な道徳教育から、戦後の自由な学びへの転換、そして高度成長期以降の学歴重視の傾向が見られる。



2 藤子・F・不二雄の生涯と作品について

 藤子・F・不二雄(本名:藤本 弘)は、日本の漫画家であり、国民的キャラクター「ドラえもん」の生みの親として知られている。彼は、日本の漫画史においても重要な存在であり、その作品は現在も幅広い年齢層に愛されている。ここでは、藤本の生涯と彼が残した作品について解説する。


2‐1. 生涯

藤子・F・不二雄は、1933年12月1日、富山県高岡市に生まれた。幼少期から漫画やアニメーションに強い関心を持ち、手塚治虫の『新宝島』に影響を受けて漫画家を志した。学生時代から友人と共に漫画を描き始め、富山新聞に投稿した4コマ漫画が掲載されるなど、早くから漫画家としての活動をスタートした。

1944年、同じ高岡市に住んでいた安孫子素雄(後の藤子・A・不二雄)と出会い、親友かつパートナーとして共に漫画家を目指すようになった。二人は、「藤子不二雄」というペンネームでコンビを組み、共作で数多くの作品を発表した。

1954年、東京に上京し、漫画家としての活動を本格的に開始した。特に、1956年に発表された『天使の玉ちゃん』や、『海の王子』が人気を博し、藤子不二雄としての名声が高まった。

1969年、藤子・F・不二雄の代表作『ドラえもん』が小学館の学年別学習雑誌で連載を開始した。未来の猫型ロボットである主人公のドラえもんが、もう一人の主人公のび太を助けるために未来からやってくるというこの作品は、瞬く間に子供たちの心を掴み、国民的漫画へと成長した。後にアニメ化や映画化され、日本中に大きな影響を与えた。

1987年、藤本と安孫子は、それぞれの創作スタイルを追求するため、「藤子不二雄」を解散し、ソロ活動に移行した。藤本は、「藤子・F・不二雄」を名乗り、安孫子は、「藤子・A・不二雄」として独立した。藤子・F・不二雄は、その後も『ドラえもん』を中心に、さまざまなSF作品や児童向け漫画を描き続けた。

藤本は、晩年まで『ドラえもん』の執筆を続けながら、他の作品も並行して発表していた。彼の作品は、ただ単に子供向けの娯楽だけではなく、SF的なテーマや社会的な問題を扱った深みのある内容も多く、多くのファンに支持された。

1996年9月23日、藤子・F・不二雄は、肝不全により62歳で亡くなった。彼の死去は多くのファンに衝撃を与えたが、彼の作品はその後も幅広い世代に愛され続けている。


2‐2. 主な作品 

2‐2‐1.『ドラえもん』

藤子・F・不二雄の代表作であり、日本を代表する漫画作品である。22世紀の未来からやってきた猫型ロボット・ドラえもんが、冴えない少年・のび太を助けるために「ひみつ道具」を使って冒険や問題解決に挑むという物語だ。全45巻の単行本が発行され、アニメや映画、グッズなど多方面で展開された。

『ドラえもん』は、ただの冒険やコメディにとどまらず、友情や努力、自己成長といった普遍的なテーマが描かれており、子供から大人まで楽しめる内容になっている。また、藤子・F・不二雄はSF(すこしふしぎ)という独自のジャンルを生み出し、未来の技術や道具に対する想像力を駆使した物語が魅力である。


2‐2‐2.『21エモン』

『21エモン』は、未来の宇宙を舞台にしたSFコメディ漫画である。主人公の21エモンは、代々続くホテル業を継ぐ予定だったが、自由に宇宙を旅することを夢見て冒険に出るという物語である。コミカルな展開や個性的なキャラクターに加え、未来社会の描写が特徴的で、SF要素が強く盛り込まれた作品となっている。


2‐2‐3. 『キテレツ大百科』

『キテレツ大百科』は、発明好きな少年・キテレツが、先祖の残した発明書を元に、さまざまな「ひみつ道具」を作り出し、友達と共に冒険や問題解決をするストーリーだ。ドラえもん同様、SF的な要素を持ちながら、発明や技術の面白さを子供に伝える作品である。 『キテレツ大百科』もアニメ化され、ドラえもんと並んで多くのファンを持つ作品となった。


2‐2‐4. その他作品

『エスパー魔美』: 超能力を持つ少女・魔美を主人公に、日常と非日常を描いた作品である。超能力の力や、それに伴う責任と悩みを描き、社会的・倫理的なテーマを扱っている。

『ウメ星デンカ』: 王子ウメ星デンカが地球に避難し、普通の家庭で生活するというコメディ作品である。ユーモアと温かみが感じられるストーリーである。


2‐3 作品の特徴と影響

藤子・F・不二雄の作品の特徴は、SF的な設定やテーマを「すこしふしぎ」(SF)という概念で表現したことである。高度に科学的な未来の技術や、異世界を舞台にした物語を、日常的な感覚で子供たちに届けるというスタイルが特徴的だ。

藤子・F・不二雄の作品は、単なる冒険やギャグではなく、人間関係や成長、夢と挫折といったテーマも扱っている。例えば、のび太がどんなに失敗しても頑張る姿や、友情の大切さを伝えるストーリーは、多くの子供たちに影響を与えた。

『ドラえもん』をはじめとする藤子・F・不二雄の作品は、単なる娯楽作品にとどまらず、子供たちに未来への夢や希望、そして努力の大切さを教える教育的要素が強く含まれている。

藤子・F・不二雄は、戦後の日本において、子供向け漫画を新たな領域へと導いた偉大な漫画家である。彼の作品は、SF的な要素と温かい人間ドラマが融合しており、現在も多くのファンに愛されている。



3.作中の子供たちの「ホビー・遊び」

藤子・F・不二雄が作中で描く子供たちの姿から、読者はそれを記憶し、イメージとして昭和期の子供文化を感じ取ることができる。具体的には、作中のキャラクターの「ホビー・遊び」に注目することで、藤子・F・不二雄が後世に残した世界観および昭和期の子供文化をより鮮明に、リアルに知ることができる。

 以下の図は、筆者が調査した結果をまとめたものである。

『ドラえもん』作中において、どのようなホビーや遊びが描かれているのかを調査した。その結果、最も多く描写されているのが「漫画」であり、「野球」、「ラジコン」、「テレビ鑑賞」が上位に上がった。その他にも、スキーなどのウィンタースポーツや水泳など、運動を伴う遊びが散見された。現在の子供文化と異なり、テレビゲームなどは少なく、かわりにテレビゲームのような遊びは「ひみつ道具」の一部として登場する。今回の調査では、「ひみつ道具」による遊びは統計に含めていないが、「ひみつ道具」の一部が、現在、実現されつつあるということは非常に興味深いと言える。

では、『ドラえもん』の世界観は、当時の実情をどこまで反映しているのかを考えてみよう。SF的な要素を無視した時、キャラクター達の日常生活は、昭和期の子供文化をどこまで再現しているだろうか。『ドラえもん』は、1970年代の連載当時における子供文化を鮮明に描写していると考えられる。野球という遊びに注目すると、『ドラえもん』の作中で頻出するように、現実においても日本の最もポピュラーなスポーツとして野球は存在し、現在と比べて、子供たちが野球できる広場や公園は多くあった。作中に登場する「ジャイアン」というキャラクターが中心となって運営される「ジャイアンズ」という野球チームがあるが、このような大人が介在しない野球チームが昭和期には見られた。現在では見ることが無いが、当時の野球は日本の国民的なスポーツであり、地域の子供たちが集って野球をすることは自然なことだった。このように、『ドラえもん』の世界では、普遍的なホビーや遊びが楽しまれており、鮮明に昭和期の子供文化を描写していると言える。

主人公のび太が得意とするのが「あやとり」である。「のび太の特技」として、読者の中で比較的に周知であるあやとりだが、描写は4回のみである。これは、連載当時の子供文化では、あやとりはポピュラーな遊びでなかったことが関係していると考えられる。つまり、のび太は普通の小学生であるため、頻繁にあやとりをしていては不自然だということだ。漫画では一般的に、キャラクターの特徴付けとして、比較的めずらしい趣味や特技を与えるということはありがちだが、そのようなキャラクター性を前面に出しすぎないことで、現実的な子供文化を描くことに成功している。現実的な世界の中でこそ、ドラえもんによる「ひみつ道具」が良いアクセントとして物語を彩るのだ。


ただし、長期にわたる連載の中で、キャラクターたちの子供文化の描写には緩やかな変化がみられる。『ドラえもん』第一話を読むと、正月の子供遊びの一つである「羽根つき」をしている描写がある。我々の印象よりも幼い雰囲気をまとったのび太が羽根つきをしている様子は、昭和的な印象を読者に与える。しかし、連載が進むにつれて、キャラクターたちの成長も相まって、このような古くから続く遊びが少なくなる。事実、『ドラえもん』以前の藤子・F・不二雄の作品を読むと、『ドラえもん』よりも昭和的な遊びが多く描写されている。このことからも、藤子・F・不二雄作品の世界観は、連載当時の子供文化を投影していると分かる。

 


おわりに

 以上、藤子・F・不二雄作品のミクロな部分から、昭和期の子供文化について理解を深めることができるという点について解説した。移り変わりの激しい現在の子供文化においては、昭和期の子供文化の再評価が頻繁に起こっている。昭和期の漫画やアニメなどがその代表だ。特に、『ドラえもん』のように、常に評価されている名作が子供に与える影響は大きい。児童漫画の多くは、子供が大人になるにつれてその役割を失っていくものだが、『ドラえもん』には何度も読みたくなる魅力がある。藤子・F・不二雄の漫画家としての実力は言わずもがなであるが、昭和期の子供文化の描写がもたらす魅力は大きいと言える。昭和を生きた大人は、子供時代に楽しんだホビーや遊びのシーンを見て、郷愁に近い感情を持つことができるだろう。一方で、昭和期の子供文化を知らない若い世代は、未知の文化に憧憬を覚える。昭和期の「物」は手に入れることは可能だが、「リレーションシップ」として存在した子供文化は現在の我々の手の届かないところにある。そういった意味でも、作品で描かれる昭和期の子供文化には価値があると言える。今を生きる我々だけでなく、後世の多くの人々にも感動を与えることが出来るだろう。

我々日本人の身近にある作品について、学術的に深掘りするということの意義は大きいが、専門的に研究した内容は世間一般に伝わりにくい。作品の何気ない描写に焦点を当てるという意識を持つことで、過去の時代に思いを馳せることを可能にし、作品をより理解し楽しめるのである。

 

参考文献

横山泰行『ドラえもん学』PHP研究所 2005年

横山泰行『ドラえもんの謎』ビジネス社 2003年

清水正『世界文学の中のドラえもん』D文学研究会 2012年

野上暁『子供文化の現代史』大月書店 2015年

酒井敏『子どもと遊び』中京大学文化科学研究所 2013年

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