手間という豊かさ
ぼくは手間隙かけることが
これから日本人が豊かさに気づきやすい
ポイントなのでないかと思っている。
たとえば、メモを書くときも、
パソコンのタイピングより
アナログの手書きの方が記憶力や脳への
刺激が強いと言われている。
指の動作の数
・PCタイピング:8種類
・手書き:10000種類(一万種類)
と言われている。
なぜなら「手」は思考のアクセル!
「ペンフィールドのホムンクルス」
という図があります。
これは、脳内で感覚を司る
「感覚皮質」の面積のうち、
体の各部位に割り振られた広さが
どのくらいか、をあらわす図。
広い部分を占める器官の感覚は
敏感で、そうでない器官は鈍感!
顔や唇と同じくらい手が大きく
分布されている。
また、ペンはボールペンよりも
芯があるものを使った方が良いと
聞いたことがある。それは心があるから。
ただ、手間なものは人間は使いたがらない。
日本の経済成長もまた、
手前を省いてきた代物だとか。
高度経済成長で産業革命が起こり、
各業種、各メーカーが
海外から革新的な技術を採り入れ、
新しい設備を導入したり
古事記で三種の神器は、
「鏡と勾玉と剣」です。が、
この時から三種の神器は、
「冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ」
と呼ばれ、家電市場が拡大。
人々の生活水準も向上し、
耐久消費財の普及が進んだ。
どういうことかというと、
暮らしが楽になるということですね。、
地域や数家族で使っていたものを、
世帯ごとに揃えることもできるようになり
大変便利になっていく。
冷蔵後のおかげで、
食べ物の寿命が延びた。
洗濯機のおかげで、
いつでも自宅で自動で
キレイに洗ってくれる。
テレビのおかげで、いつでも自宅で
娯楽が観れるようになった。
しかし、なぜでしょう。
便利で時間はできたはずなのに、
時間に追われているのは。
ましてや、今はさらに電化製品に
囲まれた生活をしている。
そして支払いに追われている。
まとめると今の社会構造は
時間と支払いに追われる仕組みのよう。
あれも必要、これも必要と、
モノにやってもらうあまり
生きる知恵は乏しくなり、
支払いをして指一つでいろんな願いを
叶えることはできるようになった。
限度を超えると、そうやって麻痺していく
ような感じがする。
今では、声で照明をON/OFFしてくれたり
(アレクサ)しますが、
果たして終わりのない便利に向かって
どこに行っているのだろう。
便利で時間が生まれることが
幸せに繋がると信じていたのは
幻化している。
便利になった分の時間は
どこに行ったのでしょうか?
お出かけ中でしょうか。
タンスの裏に隠れていませんか。
わたしたちが欲しかったのは
幸せや豊かさだったはず。
あまりにも便利を追求するほど、
この世の中から幸せは削り落とされていると感じるのはわたしだけでしょうか。
農村で働いていた時代から、
完全雇用時代が到来し、人口の都市集中、
過密・過疎、農村の変化、進学率の上昇など大きな社会変化が起きた。
料理も時短で作るのが
15年ほど前に流行った。
パンを食べるにしても、
買う・作るの2つ選択がある。
作るにも、全自動機械で作る・手で作る。
の2つ別れる。
買ったものよりも、機械に自分で
材料を入れた方が過程に関わって
想いはあるでしょう。
しかし、自分でこねたものの方が
愛情MAXだろうなと思う。
どこまでも効率化を目指す都会思考。
都心に暮らすと更に、当時と同じ時間の流れと一緒と思えない時間の流れに違和感を覚える。
煮る前に電子レンジでチン!が
母の暮らしの知恵になっているのは
悲しいことではないですか?
各家族になり風習は途絶え、
祖母や母の味はわすれられた現代です。
この回では書きませんが
電子レンジはとても体に悪いです。
電子レンジやフードプロセッサー
など、もともと輸入されているものは
日本の価値観ではないのです。
先ほど夕食前にみぞれ鍋にするため
大根削りをしていました。
その時に父の背中を思い出しました。
食事前、秋刀魚の日は、
お父さんがよくお母さんから
大根削りを頼まれ、指も擦りそうになりながらも削った大根はありがたい気持ちと共にいただいていました。
時短で済ませる時があっても良い
とは思いますが、それが家庭の伝統になり
味となるということを
忘れてはいけないのでしょうね。
昔だったら恥だったじゃないかと
想像できます。
タイピングではなくて、手書き
フードプロセッサーは、手で削る
子育ても、手がかかる方が
可愛いというものです。
手間とは愛情です。
ここに、日本人の幸せ観が
あったのではないでしょうか。
先生は穏便な子よりも、手をかけたほうが
卒業後も強烈に覚えているものです。
今は、子育ても時短で効率よく
済ませているような感じがします。
ある本には、子供の小さい頃に手を抜くと
大きくなり手が掛かる、と書いてありました。
また、日本をくまなく回っても、
どこへ行ってもセブンイレブンや
イオンモールなどの便利で多種多様な商品やお店が、ガッちゃんこしている大企業は必ずあります。
大企業は質より、
添加物で見せかけの質を拘ります。
おかげで、どんどん専門店や
老舗は潰れています。
商品に魂を込めて作って、
手間暇かけて作ってきたものは
現代では価値なきものにされているのです。
なんという悲しいことでしょう。
ぼくは、この手間を削る効率脳の
西洋文化はもう十分なので、
そろそろストップして価値へもう一度
見つめ直す時代が来て欲しいと思っています。
価値が高いものは、手間隙かかっています。
本物とはそういものです。
ダイソーは便利です。
ただ消費社会を加速させ、モノで溢れさせ
結果何が幸せなのか誰も明確に言えない、
そんな雲を掴むようか時代に終止符打ちましょう。
買う暮らしではなく、作る暮らし。
崩れてもまたすぐ買うのではなく、直す生き方。
少しづつ。
一緒に学んでいきましょう。
少しづつ。
実践していきましょう。
昔の人は何でも作り、作り変える技術を
持っています。
大切なことは最新にはいつもない。
これまで祖先の知恵です。
なんでも新しいものが良いものではなく、
古く今でも頑張っているものが価値がある時代へ
コンビニおにぎりより
手作りおにぎりに、想いが入っている。
工業製品で作られた食品は、
ベルトコンベアに流れて無表情で作られている。母親のおにぎりは体に良い菌も含まれています。
手間とは、愛情。
ありがとうありがとうありがとう
考えるな感じよう
feelyuma
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