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合わせ鏡 #青ブラ文学部

 森の奥には魔法使いがいて、頼めば願い事を何でも叶えてくれるというのは、この辺りの村では有名な話だった。
 隣に住むメルヒの、お婆さんの話だ。
 小さいころ家で飼っていた猫がいなくなり、一番かわいがっていた姉が魔法使いのところにお願いをしに行った。魔法使いはタダでは願い事を聞いてくれない。姉はその時期庭で盛りの深紅のバラを両腕に抱え、魔法使いに手渡した。

 魔法使いはいつもそうであるように、棚から筒を取り出して、薬草やらキラキラ光る石やらを筒に入れると、最後に姉が持参したバラを長い爪で千切り入れた。蓋をしてぐるぐる筒を回す。

「さあ覗いてごらん」

 姉が筒を覗くと、中は合わせ鏡の万華鏡だった。
 魔法使いは筒を姉の目の先にあてながらゆっくりと回していく。中は真っ赤な花弁と宝石が混ざり合い崩れ合い、目も眩むようだった。そのうち、くるくると変わる景色の中に、猫が横たわるのが見えてきた。
 一目見て、もう死んでしまっているとわかった。
 光り輝く万華鏡の中でも、倒れた猫のまわりは暗い闇に包まれている。

「ここはどこなの? どうしてこんなことに?」

 姉が涙ながらに尋ねると、魔法使いは首を振った。

「それは答えられん。願いに見合った対価を払えば見せてやろう」

 そこで今度は、妹であるメルヒのお婆さんと一緒に、大切にしている絵の具や髪飾りを持って行ったが、どれも「見合わない」の一言だった。
 ついに二人は、母親が大切にしていた深緑色のブローチを持ち出して、魔法使いに渡してしまった。
 魔法使いは薄い唇をにんまりさせて、棚から筒を取り出した。小さいトンカチがしわしわの手に握られると、あっという間にブローチを砕いた。それからまたいくつかの宝石や真っ白い鳥の羽根を取り出し、一緒くたに筒の中に入れると、よくよく振りまぜた。

「さあ覗いてごらん」

 姉が覗いて、メルヒのお婆さんもそばによると、さすがは魔法使いの万華鏡、どういう仕掛けか二人で穴を覗いても十分に見えるくらい、視界が広がった。
 メルヒのお婆さんは、まずその世界の美しさに圧倒されてしまった。合わせ鏡が鉱物とブローチをお互いに反射させあい、宝石でできた道に天使の羽根が舞い落ちる。足がふらつきそうになるのを姉の手がしっかりと支えて、お互いがしがみつくようにして抱き合いながら、万華鏡をのぞき込んだ。

 万華鏡が回る速度に合わせて、姉妹は道を進んでいった。

「あら、あれは、私たちの家じゃない?」

 姉がつぶやく。彼女が言う通り、それは見慣れた二人の家だった。
 現実の季節はもう秋になっていたが、庭には赤いバラがちょうど咲き始めた頃のようで、両親が庭仕事をしている。
 母が手のひらで種を数えるその横で、父が畑を耕している。何を植えるかを相談しているのだろう。今までもそんな両親の姿を見てきたから、なんとなく会話の内容がわかる。

 姉妹が好きなトマトを植えよう。毒のある虫がつかないようにハーブも植えましょう。ああ、家族みんなで収穫するのが楽しみだ。

「あ、あれ!」

 メルヒのお婆さんは、猫が畑の方へやってくるのを見て叫んだ。
 両親の顔が庭の真ん中で暗く悲みに沈んでしまうまで、姉は一言も声を上げなかった。メルヒのお婆さんは万華鏡の中が涙で滲んでぐちゃぐちゃになってしまい、猫がどうなったのか最後まで見られなかった。

「何を持ってきたら、猫を生き返らせることができますか?」

 メルヒのお婆さんは、姉の声があまりにしんとしていたので、怖くなってしがみつく腕の力を強めた。

「お母さんの宝石? お父さんは切手や高級なブランデーを集めてる。それともお金?」

 魔法使いは、今度は笑わなかった。古いローブの袖を伸ばし、長い爪先が姉の胸元を指した。

「魂だよ。甦りには魂が必要だ」

 姉の身体に電気が走ったのが、腕から伝わった。姉の胸についたレースのリボンが跳ねる。
 それから姉妹は両親には何も言わず、家族は幸せに暮らした。


 やがて両親が亡くなり、姉妹には子供が産まれ、孫もできた。
 数年前、その姉も亡くなった。
 葬儀の夜、一匹の猫がメルヒの家にやってきた。お婆さんは目を丸くして、猫を抱きかかえた。
 家族は突然現れた猫に驚いたが、すぐにあたたかく迎え入れた。メルヒも両親も、猫が大好きだったのだ。
 猫はいつでもお婆さんの側を離れることはなく、彼女が息を引き取ったある晴れた日、魔法のように姿を消した。
 メルヒは今でも、庭に咲くバラをお婆さんと猫が並んで眺める様を思い出すという。陽だまりの中いつまでも二人はそこに居て、まるでお互いの言葉が分かるかのように、楽しげだった。


<了>


青ブラ文学部さんの企画に参加させていただきました。

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