生きやすさと受け入れること
支援の界隈では、環境調整、アセスメントなんてことばで言われているのをよく目にします。
自分のペースで自分を受け入れていく過程で環境調整がある程度行われていくのがいい流れなのでは、という話。
こんにちは、むらたさんちの子育てです。
偏りがあるのが人間。そしてそれを特に感じることなく生きている人々は一定数いる。
なんでだろうと眺めたとき、それは環境と馴染んでいるからだと言える。あるいは愛のある人たちがなんらかの配慮を自然としてくれているのかもしれない。
なかなか理解されず、なんだか生きにくいな、と感じるとき、表に出てくるのは体調不良だったり、意欲の低下だったり、さまざまな不調。
生きやすさを求めて相談してみるも、いっときの対処法とかまやかしで終わったり。
ひとまず自分はなにに気持ちよくなるのか、なにが好きなのか、なにをして「よし行こう」と行動できるのか。近しい人に聞いてみるもよし、動いて好きな場所見つけるもよし、話を聞いてもらうもよし。
そうすると今の自分が少し見えてきて、心地よい位置が自然と見えてくるものだと思う。
ただ、機械的に、専門用語とか使って言われても…入っていかない。
環境調整には正確なアセスメントが人間味がある方法で行われないとしっくり来ないのかもしれない。
人間味と正確さの両立。
偏りなくやるにはある程度の能力が求められるなー。
そこがわたしのひとつの課題。
がんばれるかな、わたしとまた不安が顔を出すけれど、これ以上、不安を育てないのが今のわたしだ。
ポテトの「ピロピーピロピー」と店内の音楽のリズムがシンクロしていて微かにニヤける午後。
頭の中の理想を描く練習をしていく。