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あの頃のケンドーナガサキ’96 ①

「サクラダです。外人選手のブッキング手伝ってくれるんだって?」

 (また岡野さんのイタズラ電話か。)

 IWAジャパンに所属するジ・ウインガ―岡野隆史選手は、ぼくが日本を発つ前に会ったことから気にかけてくれており、しばしば日本からメキシコに電話をくれた。しかしその際、いつもベテラン選手の名を語り、声マネをするイタズラがお約束となっていた。
 今回もまたいつものことだと思い、適当に話を合わせていたのだが、いつまでたっても正体を明かさないだけでなく、具体的な仕事のことにまで話が及んだ。
「それじゃ、よろしく。」
そう言われ、電話を切ってから我に返った。

「あれ…これって…本物のケンドーナガサキだよな…。」

 電話の主は岡野さんではなく、本物のケンドーナガサキであるサクラダさんだった。
 その3か月前まで、メキシコのバックパッカー御用達の安宿、ペンション・アミーゴで一緒に生活をしていた田尻義博(TAJIRI)選手が、大日本プロレスにレギュラー参戦することになった。
 大日本は田尻選手の対戦相手として、メキシカンを毎シリーズ参戦させ、そのブッキングをぼくが手配することになったのだ。
 すでに日本に行くメキシコ人選手とは日本サイドで話がついていたので、ボクの仕事は大使館で何の書類が必要なのか確認し、それを日本から送ってもらい航空券とともに選手に渡してビザを取ってもらうという、それだけのことだった。
 大日本が呼ぶことになっていたのは、ドクトル・ワグナーJrとグラン・アパッチェの二人だ。すでに二人とも何度も日本に行っているので、手続きに関しては、ボクよりも詳しいはずで、何も心配することはない。

そう、心配することは何もないはずだった。

選手出発前日の夕方、アパッチェから電話がかかってきた。

「ビザが取れなかったよ。」
「!!!」

 当たり前だが、ビザがなければ日本には行けない。
 その前年までアパッチェは、IWAジャパンにレギュラー参戦していたのだが、最後の来日時、日本への入国を拒否されるという前科があったのだ。
 名誉のために言っておくと、団体側は毎回ビザ発給に必要な書類を作成し渡していた。しかし頻繁に来日していたアパッチェは、いちいち大使館に書類を提出しビザを受け取りに行くという作業が面倒になり、手続きをせずノービザで来日し、入国できなかったのだ。
 おそらく日本の入国審査をなめていたのだろう。これをやると向こう5年は、日本に入国することはできないらしい。
 後年ミスティコも、過去に別名で来日を繰り返していた時にアパッチェと同様のことをしたため、メキシコでの人気絶頂時、なかなか来日することができないことがあった。
 報告のために、恐る恐る日本のサクラダさんに電話をいれる。

「まあ、きみが悪いわけじゃないから仕方ないよ。」

 怒られずにすんだ。
 ほっとしたのもつかの間、サクラダさんはこう切り出した。
「代わりに誰か来れるやついないかな?時間もないからビザも必要ない選手でさあ。」
 ビザなしで行けるメキシコ人などいない。明らかにボクを誘っている。こんなチャンスはなかなかない。しかしまだ日本で試合をする準備も心構えも何もできていない。そしてメキシコで初めてテレビマッチに出場することが決まっていたことなどもあり、踏ん切りがつかないのだ。

「申し訳ありませんが、心当たりがありません…」

 もったいない気持ちやらなんやらで、ほっとしたのもつかの間、翌日またも事件が起こった。もうすでに飛行機は飛び立ったと思った矢先に、ワグナーから連絡が入ったのだ。 

「飛行機がキャンセルになったから、日本に行くのは明日になったぞ。」
「!!!!!!」

 明日って、シリーズ初日当日じゃないか!
 初日は後楽園だぞ!間に合うのか!?
 またサクラダさんに電話しなければならない。

「すみません、飛行機が飛ばないみたいで、選手の到着が一日遅れます…。」

 二日続けてのトラブルに、電話の向こうのサクラダさんも笑うしかない。
ワグナーは翌日無事に日本へと旅立ったが、CMLLに無許可で大日本でCMLL世界ライトヘビー級のタイトルマッチを行ったため、のちのち問題になってしまった。

「日本でタイトルマッチをやるから、ベルトを持って行ってくれないか?」

とワグナーに頼んだのはボクだが、まさかタイトルが田尻選手に移動するとは夢にも思わなかったのだ。後日、この問題を取り上げた日本の専門誌を見て青ざめてしまったことも含め、初めてのブッキングは散々に終わった。

つづく

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