あの頃のタイガー戸口 en Mexico '93 ①
メキシコのプロレス「ルチャリブレ」はマスクマンの多さと、派手なコスチューム、空中殺法など独特な特色をもっており、日本でも専門誌だけでなく、テレビなどにも多く取り上げられたことがあるので、なんとなく知っているという人も多いだろう。
決して大柄ではないぼくは、身長170㎝以下でもデビューできるメキシコでプロレスラーになろうと92年9月、海を渡った。
現地ではジムに通いながらバイトを見つけ、日本人バックパッカー御用達の安宿ペンション・アミーゴで生活を送るようになった。
メキシコマットには日本から、若手レスラーが修業にやってくることも珍しくない。ぼくが行った時には、ユニバーサル・レスリング連盟からSATO選手(現ディック東郷)が修業中で、しばらくすると新日本プロレスから金本浩二選手がやってきた。その後ユニバーサルを辞めて邪道、外道選手もやってきたが、彼らはみなジュニアヘビー級の選手だ。小柄な選手が多いメキシコマットは、日本から軽量級の若手選手がやってくる修業の場であった。
「タイガー戸口さんがメキシコに来るらしいよ。」
そんな噂がメキシコの日本人選手たちの間に広まったのは、93年5月のことだった。軽量級の若手の対義語である、巨漢のベテランがいったいなぜ?
「日本で一緒になった時、焼き肉につれていってくれたし、いい人やったで。」
まだ見ぬ大先輩におびえるボクとは対照的に、金本さんは戸口さんにいい印象を持っており、再会を楽しみにしているようだった。
まだレスラーでもなくビザを持っていないぼくは、ツーリストとしメキシコに入国していたのだが、ちょうどこの頃滞在期限の6か月が迫っていた。戸口さんが来墨する直前、隣国グアテマラに出国し、10日間の滞在後メキシコに戻ると、さっそく金本さんに電話を入れてみた。最初はたわいもない会話をしていたが、話が戸口さんのことに及ぶと、金本さんの声のトーンが変わるのがわかった。
「戸口のおっさん、何とかしてくれんか?」
電話の向こうの金本さんは、堰を切ったようにしゃべりだした。
「一緒に外を歩いている時、すごい勢いで走ってきた車が目の前を横切ったから、おもわず怒鳴ったんやけど、「金本、それは違うぞ。ここは日本ではなく外国で、ここではおれたちは外国人だ。郷に入れば郷に従え、多少腹が立つことがあっても、おれたちが周りに合わせなければダメなんだ。」って戸口さんに言われてな、ああ、さすが海外に長くいる人は違うなって思ったんよ。」
海外生活が長い戸口さんの言葉からは、説得力が感じられる。
「でも、翌日二人で横断歩道を渡ってた時、今度は戸口さんの目の前をものすごい勢いで車が横切ってな。そしたら戸口さん「ファッ○ン・メヒコ!」って中指突き立てて叫んだんや。言ってることと、やってることが違うやろ。」
「ジムから帰ってきたら、戸口さんがホテルのロビーで待ってて「遅いじゃないか!早くメシに行くぞ!」って怒ってるんやけど、別に一緒に食べに行こうって約束してないんよ。」
「2週続けてプエブラで試合が組まれて2週目の時、場内を見て「どうだ、俺が先週盛り上げたから、今週は客が増えただろ!?」って言うんやけど、どう見ても前の週より減ってるんよ。」
2人は同じホテルに泊まり、試合会場もほぼ同じで、一緒に行動することが多かった。第三者として聞くと笑い話にしか聞こえないのだが、たった10日の間に金本さんは、戸口さんと一緒にいて相当ストレスが溜まっていたのだ。
さわらぬ神にたたりなし。ボクは会場で会った時に挨拶や話すことはあっても、大ベテランとほぼ素人の練習生という関係性から、ほかの選手と違って会場移動などで一緒になることもなく、深いつきあいになることもない。やっかいなことに巻き込まれることがないまま数か月が過ぎていたが、ビクター・キニョネスからの一本の電話が状況を変えることになる。
「ドゥユリメンバー・ハタナカサン?エル・バ・ア・メヒコ、ステイ・ペンション・アミーゴ。マニャーナ・アメリカン・エアライン。アエロプエルト・オネガイシマス。」
当時W☆INGで猛威を振るうプエルトリコ軍のマネージャーとして知られていたキニョネスは、ブッカーとしての一面ももっており、レスラー志望のボクのこともヘルプしてくれていた。ぼくがメキシコで練習できるよう、UWAマッチメイカーのカルロフ・ラガルデに手紙を書いてくれたのもキニョネスで、メキシコに発つ直前に対面した際、同席していたのが畠中浩(浩旭)選手だった。もともと畠中さんは、ぼくと同じようにメキシコに来て、レスラーへの道を探った経験のある人だ。その後プエルトリコに渡りレスラーとしてデビューを果たし、SWS旗揚げに際し日本に定着している。当時NOWに参戦していた畠中さんだが、メキシコに行くので空港に迎えに行けというキニョネスから連絡だった。
一度しか会っていない畠中さんだったが、その巨体から空港で発見することは容易だった。滞在先はホテルではなく、ボクが管理人を務めるバックパッカー御用達の宿、ドミトリーのペンション・アミーゴでいいという。幸いにもボクの部屋は以前オーナーが生活していたあと、しばらく倉庫になっていた大きめの部屋で、数日前に一つ予備のベッドを入れたばかりだったので、ここで一緒に生活をすることになった。他にも多くの日本人選手がアミーゴで生活しているが、その第一号は畠中さんだ。
「戸口さんに会いたいんだよね。」
空港からアミーゴに向かうタクシーの中で、うれしそうに話す畠中さん。日本デビュー前にプエルトリコにいたころ、戸口さんにお世話になったのだという。
「じゃあ今度連絡してみましょう。」
「いや、すぐに会いたいんだよ。今日連絡取れないかな?」
金本さんの件もあるし、あまり気は進まないが仕方がない。アミーゴに到着してすぐに戸口さんのホテルに電話を入れてみた。
「おお、どうした?」
「実はプエルトリコで戸口さんと一緒だった畠中選手がメキシコに来ているんですけど、ご挨拶したいというので…。」
「おお、そうか、今すぐ連れてこい。」
はやる気持ちを抑えきれない畠中さんとともに、タクシーに乗って戸口さんのホテルへと向かった。部屋のドアをノックすると、中から戸口さんが顔を出した。
「おお、畠中ってお前か!?」
戸口さんはあまり、畠中さんのことを覚えていないようにも見える。そういえば以前ディック東郷さんも、「俺初めて戸口さんに会った時、よう、久しぶりって言われたぞ。」と話していた。二人の間にはだいぶ温度差があるのか、懐かしさを前面に出す畠中さんに対し、戸口さんはメキシコ生活の文句と自慢話ばかりするので、会話がかみ合わない。
「…戸口さんって、あんな感じだったっけ…?」
夜道を歩いて帰る畠中さんの足取りは、行きとは違ってだいぶ重くなっていた。同じUWAのリングに上がるとあって、2人は一緒に行動する機会が多くなり、必然的にボクも巻き込まれることになる。そして畠中さんも、金本さんと同じ道を歩んでいくのだった。
つづく