あの頃の安達勝治’95&’96④(終)
これまで否定的なことしか言われてこなかったのに、いきなり態度が変わると、それはそれで気持ちが悪い。
巡業中、田尻選手にこのことを聞いてみた。
「ああ、安達さんは選手をほめて伸ばすタイプと、叱って伸ばすタイプに見分けているんだよ。ほめる選手には、どんなひどい試合をやっても「よかった」としか言わないし、叱る選手にはすぐいい気になるからって、どんなにいい試合をやっても怒るんだ。」
確かにボクのことはほめても、その試合で対戦した相手にはボロクソに言っていることもあった。夢ファクではボクは試合をしていないから、ここで初めて試合を見て、安達さんがほめる側に見分けたということだろう。
「安達さん、今日の試合どうでしたか?」
「うん、いいよ、あんたは全部いい。」
目もあわさずに、こんな返事が返ってきたら、さすがに本心ではないことがはっきりとわかる。しかしおかげで1年半にわたるボクの不安と、安達さんの怒りはとりあえず消し去ることができたようだ。
試合前、メキシカンのファンタスティックにマットの上で、ネブリナ(ニエブラ式ヌド=パラダイスロック)のやり方を教わっていると、安達さんは、
「いいよ。そのままでもいいけど、相手の肩の関節をバキッって外してから技に入るともっといいよ。」
とアドバイスしてくれたことがあった。実際試合で相手の肩の関節をはずすわけにはいかないが、安達さんとしてはそれだけこの技の見た目に、説得力がないということを、遠回しに伝えてくれたのだ。
「安達さんさ、昔、鉄パイプを顎の上に立ててバランスをとることができる、って言ってたよ。」
田尻選手が雑談中に、以前安達さんが言っていたことを教えてくれた。
「パイプでバランス取って、どうするの?」
「それができるかどうかで、腰の柔らかさがわかるんだって。物干し竿くらい長いパイプでやるんだって。」
「なんだよ、それ?なんの曲芸だよ!!」
「で、その上に5歳ぐらいの子供のっけたことがあるんだって。」
「!!!」
「本当だって。」
そんなことができるわけがない。田尻選手の口から聞くと、なおさら冗談にしか聞こえないのだ。
そんな話も忘れかけていた巡業中、会場設営を終えたころ、会場隅に設置された売店の横で安達さんがボクたちにケガをしないよう、アドバイスを始めた。
「いいかきみたち、ケガをしないためには柔らかい身体、腰を柔らかくしておかなきゃならないんだよ!」
あれ、この話はもしかして…と思っている中、安達さんは話をすすめていく。
「腰を柔らかくしてバランスがとれれば、どんなものだって担げるよ。こんなの簡単だよ。」
そういうと安達さんは客席に並べてあった折りたたみ椅子を手にし、あごの上に乗せ、器用にバランスを取り始めたのだ。
あまりの見事さに、驚きの声をあげるボクたちに気をよくしたのか、安達さんはさらに続ける。
「こんなの簡単だよ。昔、長い棒の上にうちの子供をのせて担いだこともあるよ。」
目があった田尻選手は「ほら」と言わんばかりである。
えっ、あの話は本当なのか?そう思っていると、安達さんはさらに驚きの行動にでた。
「これだってできるよ。」
そういうと、その日のメインで行われるデスマッチ用に用意してあった有刺鉄線ボードを持ち上げ、あごの上に乗せ、バランスを取り始めたのだ。
「こんなの簡単だよ。」
畳一畳ほどの大きさのボードは厚さが1センチほどあり、そこに相当な量の有刺鉄線が張りめぐらせてあるから、かなりの重さのはずだ。
なによりバランスを崩して落っことしたら、安達さんが有刺鉄線の餌食になってしまうので、危険なことこのうえない。
ここまでくると、立派にお金をとってもいいレベルのエンターテインメントだ。
「わあ、すごーい。」
女子高生のようなノリで藤村奈々選手がこれを見ている。
有刺鉄線ボードを顎に乗せバランスを取る安達さんに、女の子が黄色い声をあげ拍手するという、なんだかものすごくシュールな光景になってしまった。
そしてシリーズ最終戦、メインイベントのセコンドについていると、場外乱闘中に、反対側のコーナーでセコンドについていた田尻選手がこっちに近寄ってきた。
「見てみな、安達さん、仏さんみたいな顔をしているぞ。」
反対側のリング下でボクたちと同じくセコンドについていた安達さんは、ポカーンと口を開け楽しそうな笑顔で試合を見届けているのだ。その表情からは、もう思い残すことは何もなく、今にも天に昇っていってしまいそうなものが感じられた。
そしてこの日が安達さんの大日本での、最後の姿となった。
おそらく事前に会社側とは話がついていたのだろう。この後ボクは安達さんと会う機会がなかったので、この大日本のシリーズが唯一安達さんと和解できる場だったことになる。
最終日、安達さんは場外乱闘を、ファンのように楽しそうに見る姿が印象的だった。
だいぶあとになって、サクラダさんと安達さんがカルガリーにいた頃、若かりしブレット・ハートをコーチしていたことをハートの自伝を読み知った。
そこには日本人二人が、かたことの英語で「ウイ・ティーチ・ユー・レッスル」と言いながら、毎朝家まで練習の迎えに来ていたと書かれていた。
これはちょっとしたホラーだなあと思ってしまった。
おわり