あの頃のタイガー戸口 en Mexico '93 ③
戸口さんの指揮のもと行われたUWA合同練習初日。
「日本式の練習をメキシコ人に教える」という戸口さんは、リングに集まった選手たちに、まず前まわり受け身を取るよう指示した。
しかし同じ前まわり受け身でも、日本とメキシコのそれはまったく別物だ。日本式の片手で倒立するような態勢からの「バン」と一つの音をイメージする戸口さんの思いとは裏腹に、選手たちは「バタンバタン」とルチャ式のでんぐり返し式の受け身を取り、すぐ立ち上がる。
「立つな!もっとちゃんとやれ!」
戸口さんに言われ、ボクと畠中さんが見本をやってみせても、その形の受け身自体がメキシコにはないし、基本が違うから仕方がないのだ。しかし日本語で指示する戸口さんの思いはメキシカンには伝わらず、イライラがたまりついに声を荒げた。
「回るなって言っているだろ!!」
あまりの大声に、ロッキー・サンタナが驚きで飛び上がり、思わず身構えた。
次にペアになり正面で組み合った状態で押し比べをさせるのだが、これも思ったようにはならない。たまりかねてリングに上がった戸口さんは、ぼくの髪を両手でつかみこう叫んだ。
「いいかお前ら、見てろ、こうやるんだ!いいか小林、ぜったい倒れるなよ!!倒れて膝をついたりしたら、くらわすぞ!!」
頭をわしづかみにされたボクは、ものすごい勢いでリング内を引きずり回され、ブンまわされた。
突然の修羅場だ。
倒れようものなら本当にぶん殴られそうなだけに、こっちも態勢を保つのに必死だ。
数分後、戸口さんに解放されたボクのもとに、それを見ていたルチャドールたちが、心配そうに駆けよってきた。
「大丈夫か?」
2メートル近い大男が、日本語でわけのわからないことを叫んだかと思えば、いきなり横にいた小さなボクの髪をわしづかみにしてぶん回したのだ。少なくともメキシコ人の目には尋常ではなく見えたのだろう。いつも不機嫌な表情をしているルチャの先生ラガルデが、涙目になっているボクの右手を上げ、笑顔で叫んだ。
「カンペオン!(チャンピオン)」
メキシコのレジェンドから見ても、逸脱した光景だったのかもしれない。
しかしいつも大声で怒鳴りちらされてばかりのメキシカンたちも、黙ってはいなかった。
「おい、なんであいつは俺たちにばかりやらせて、自分は練習しないんだ?」
スクワットの際、自分はやらないで号令をかけるだけの戸口さんに、ほかの選手たちは不満をつのらせていた。グラン浜田さんはみんなと一緒にやっていただけに、なおさらだった。この空気を察した戸口さんは、膝が悪いにもかかわらずみんなと一緒にスクワットに参加するようになった。
練習後、リング上で柔軟運動を始めた浜田さんを見た戸口さんが、ボクと畠中さんに耳打ちをした。
「おい、お前らいいか、みんなで浜田にストンピングを浴びせるぞ。よし、1,2,3、それいけ!」
ぼくたちはリングに躍り込み、腹筋をしていた浜田さんに3人がかりでストンピングを浴びせまくった。
「よせ、やめろ!てめえら!」
3人に蹴られながら叫ぶ浜田さん。
「やめろって!」
「ほらお前ら、もっと蹴れ!」
一緒に蹴りながら、戸口さんがぼくらをあおる。
「やめろって言ってんだろ!」
浜田さんの悲鳴はぼくたちのストンピングを、さらに加速させた。
「てめえら!…もうメシ喰わさねえぞ!」
浜田さんがそう叫んだ瞬間、戸口さんの動きがピタッと止まった。蹴り続ける畠中さんとぼくを止める戸口さん。どうやら戸口さんは何度も浜田さんの家で、ごちそうになっていたようだ。
練習を終え談笑をしていると、練習を見ていたUWA代表のカルロス・マイネスがやってきた。
「お前たち、日本人のトリオで6人タッグの王座に挑戦しないか?」
戸口さんはこれを聞いて、まんざらでもなさそうな顔をしている。戸口さんと畠中さん、もう一人は浜田さんか?でもルードとテクニコで組むのか?と、そこに戸口さんが質問した。
「浜田はテクニコだろ!?もう一人、ルードの日本人がいないじゃないか!?」
マイネスはこっちを見た。
え!?
まだデビューすらしていない人間をつかまえて、ベルトに挑戦って!?なんの冗談だ。
「日本人が3人そろっているんだから、ちょうどいいじゃないか。」
その場を盛り上げるためのジョークだろうと思っていたが、マイネスは本気だった。結局ボクはそこには入らなかったが、後日戸口さんと畠中さんはブラック・パワーと組み、エル・トレオでUWA世界6人タッグの王座に挑戦した。そしてボクのデビューも決まったのだ。
近年になって気づいたことだが、マイネスは練習で戸口さんにふりまわされるボクに目がとまり、試合をさせてみようと思い立ったのだろう。だとすると、戸口さんはボクにとってデビューのきっかけを作ってくれた、大恩人ということになるのだ。
つづく