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ウォーリー山口と学生プロレス①
日本初のプロレスインディー団体「パイオニア戦士」が旗揚げしたのは、89年4月30日のこと。
それまで日本マット界では、新日本プロレス、全日本プロレス、UWF、全日本女子プロレス、ジャパン女子プロレスの5団体が活動していた。
「日本は女子を含めて5団体しかないだろ?この広い国に5団体じゃ、全然少ないんだよ。アメリカなんて街ごとにプロレス団体があるんだぞ⁉これから日本もどんどん団体が増えるよ。」
パイオニア戦士旗揚げより数か月前に、ぼくにこう言ったのは、ウォーリー山口さんだ。
山口さんは「ピラニア山口」の異名でファンの間では名の通った週刊ゴングの記者であり、西馬込でプロレスショップ「マニアックス」を経営していた。
「団体が増える」と言われても、そもそも日本には限られた数しかレスラーが存在しないため、せまい日本で団体が増えるなんて想像がつかない。
まさか猪木、馬場、藤波、長州、鶴田、天龍、前田がトップを張る時代に、いつの間にかリングから姿を消した剛竜馬や、ひざの故障で引退した大仁田厚が団体を旗揚げするとは思いもしなかった当時、ぼくは山口さんの言葉を鵜呑みにできなかった。
山口さんは、ぼくが初めて接点を持ったプロレス関係者だ。
87年に大学に入学したぼくはプロレス研究会に入会し、学生プロレスに参加。ぼくの大学のプロ研は、ほかにも16大学のプロ研が参加する「関東学生プロレス連盟=UWF」に加盟していた。
そのころ、他大学のプロ研の先輩がマニアックスで行われたプロレスクイズ大会に参加したことで、学生プロレスと山口さんとの間に接点ができたのだ。
当時学プロの代表は、現在も現役レスラーとしてプロのリングで活躍するMensテイオー選手。
一年生だったぼくにとって、テイオー選手は口も聞くこともできない雲の上の存在だった。
このころ学生のリングは、慶応大学のプロ研が所有するボクシング用のものを使用していた。
このリングは鉄骨、板、全てが重く、ボルトでとめなければならない手間のかかる代物で、設置にも時間がかかった。
そこで意気投合したテイオー選手と山口さんは、設置の簡略化とマニアックスの地下室に常設できるように、サイズをあわせたリングを共同で購入することになったのだ。
このリングができた直後の87年12月、マニアックスにジャイアント馬場さんが学生の練習を見に訪れ、実際にリングに上がり指導をしている。
そして89年7月には神宮外苑で行われた学生プロレスのテレビ収録大会に、ゲストとしてアントニオ猪木さんが来場。リング上で挨拶をして、メインイベントの立会人を務めている。関東学生プロレス連盟のリングは、別々ではあるが、BI砲が上がった最後のリングでもあるのだ。
ぼくが山口さんと初めて本格的に接触したのは、88年3月に赤坂で行われた学プロの大会前日だった。
リングを設置し手が空いたところで、山口さんはぼくにリングに上がるよう指示した。
「バンプ取ってみろ」
それまで積極的に学プロのイベントに参加していなかったぼくを見つけて、見慣れないやつがいるな、と思った山口さんが品定めを始めたのだ。
数回後方受け身を取った後、山口さんを見ると
「よし、あと100回」
ちなみにこの日はリングを設置しにきただけなので、練習着の用意はなく、Gパンにランニングシャツの状態だった。
この頃から徐々にマニアックスに行く機会が増えたぼくは、山口さんの手伝いで、ゴング増刊前田日明特集号で過去の熱戦譜を書き出したり、全日本プロレスのパンフレットに原稿を書かせてもらうことがあった。
「サンキュー。何が食いたい?」
バイト代がわりにおごってくれるという山口さんに、ぼくより先に一緒に手伝った学プロ同期の友人が答えた。
「リベラ!」
ニヤリと笑う山口さん。
「……リベラか……。あそこはお前らには物足りないから、もっといいとこにしよう。」
そういうとぼくに車を運転するよう命じ、神宮外苑に移動。
ホープ軒で巨大なチャーシュー麺をごちそうしてくれた。
よくよく考えたら、外人レスラーが訪れるステーキハウスの料理が物足りないわけないのだが、ぼくはこの件でリベラ=物足りないモノ、だと刷り込みをされてしまった。
一緒にいる時間が長くなると、自然と会話も多くなってくる。
山口「週プロとゴング、どっちが好きだ?」
小林「両方買ってますけど、以前ゴングでやったジャイアントマシンが東京を歩き回った企画は面白かったですね。」
山「ふふ、そうか、あれ俺がやったんだよ。好きなレスラーは誰だ?」
小「ジャンボ鶴田と木村健吾です。」
山「・・・変わってんなお前。外人は?」
小「あんまり特定の選手はいないですね。前に12チャンネルでやっていた「世界のプロレス」は見てましたけど。あの番組の初回でロードウォリアーズの短い時間の試合をいくつもやったのって、インパクトありましたよね。」
山「ふふ、あれも俺がやったんだよ。」
もしこれが本当なら、ウォリアーズ人気の火付け役は山口さんということになる。当時の状況から見て、何らかの形でかかわっていたのは間違いなさそうだが、山口さんは自分から積極的にこの手の話をしないので、会話の中で突然びっくりさせられるのだ。
つづく