拝啓、未来のじぶん、過去の自分
手紙を最後に書いたのはいつですか?
現代はスマホやパソコンを使って、どこでもいつでもどこにいる人とでも連絡を取り合ったり、メッセージを送り合うことができます。メッセージどころか、動画でリアルタイムで繋がることができます。
利便性が高い反面、そのありがたみや重みが減り、価値が下がっているのではないかと感じています。しかし逆もしかりではないでしょうか。貴重だからこそ、ありがたみが増すこともあるかもしれません。
手紙から感じるものは、相手がその手紙に掛けた時間の温かい気持ち、文字の形から伝わるその人の人柄なんかも感じ取れるのではないでしょうか?
現代のように気軽にほぼリアルタイムにやり取りができないことは、今では考えられない気がします。
気軽に連絡が取れない中での情報伝達で、シティハンターのXYZも懐かしいですね。XYZが伝えられないなら、どうやって友達と待ち合わせしてたのか?待ち合わせ当日に具合が悪くなったらどうするのか?今の気持ちをどうやって伝えるのか?次はいつ伝えられるのか?
伝えられないその思いにふける時間、それはそれでエモいですね。
私の手紙の全盛期は中学生の時です。当時、プロフィール帳というものが流行りました。1枚のポップな用紙に、名前、生年月日、住所、趣味、好きな食べ物、嫌いな食べ物、夢、とにかく自分という人間のありとあらゆる情報を書き込み、交換し合います。現代では考えられないくらいの個人情報ですね。
手紙の用紙もレパートリーが豊富でした。ルーズリーフに書くこともありました。紙に書いて渡し合うことが当時の女子たちのコミュニケーション手段のひとつで、当時を生きる人間関係の一部だったのかもしれません。
手紙を書いたら封筒に入れるわけではなく、用紙自体を折って中身を見せずに渡し合っていました。シャツやハート形になる折り方もありましたが、いつも基本形です。形に名前があるかと調べてみましたが、特にないようでした。基本形です。
女子の世界では、手紙が頻繁に行き来していましたが、当時気になっていた人と文通をした甘酸っぱい思い出があります。座席が前後したことがありました。
朝の朝礼です。「起立!礼!着席!」
最後の着席のタイミングで手紙を渡し合います。
それだけで手が触れ合ったりして、朝からドキドキ…いけませんね。
なんて書いてあるんだろう、早く読みたいな〜とふわふわした気持ちになっていたりもしました。
あ〜なんと甘酸っぱい。
こんなことがあった、こんな場所へ行った、高校はどこへ行くのか、部活のこと、勉強のこと、色んな気持ちを手紙を通してやりとりしました。
文字から伝わる几帳面さ、朗らかさ、優しさ、温かさが伝わります。
では現代での気持ちの伝わり方とは、どのようになっているのでしょうか?
自分が文字としてキーボードで入力したものが、0か1かで相手に伝わる?書体はみな同じ。見にくいなと思えば、文字のサイズも太さも変えられる。スマホでもパソコンでも見られる。
それでも伝わるものがあるんですよね。
それは一体なぜなのでしょうか?考えれば考えるほど難しいです。
何度もネットを通じてやりとりを重ねて、実際に会った時に、想像と違ったなと思うことはありませんか?
ネット上での伝わり方の難しさを感じます。
さらに実際にその人の書く文字を見て、初めてその人の本来の人間味を感じます。
思いを伝え合うのに、現実に勝るものはないですよね。
表情、言葉、文字、雰囲気。ちょっと悲しいですが、現代はとても感じにくい環境ですよね。
誤って伝わってしまうこともよくあることだと思います。
そうであれば、どのようにしてネット上で思いを伝えていけるのか?
ここで、自分を振り返りながら、2つの手紙を書いてみたいと思います。
どうか気持ちが届いて欲しいと思いを込めます。
届くかな?届くと良いな。
未来のじぶんへ
未来の私、あなたはどこで何をしていますか?元気ですか?夢は叶えましたか?わたしはどんな人生を歩んだのでしょうか?わたしはわたしを乗り越えることができたでしょうか?自分を大切にすることができたでしょうか?愛や幸せを感じることができているのでしょうか?あなたの隣には誰がいますか?穏やかで、健康でいますか?
やりたいことの100のリストは何個達成しましたか?何を達成して何を達成していないでしょうか?あんなことやこんなことも達成したでしょうか?もしかして全部達成していますか?もしかして、相変わらずもがいていますか?
わたしは今、自分を変えるために挑戦をしています。この挑戦が未来の自分へどう影響させられるのか見えていません。少し前の自分は何もかもが上手くいかず、卑屈になることも多かったです。少しずつ自分が変わり始めています。このまま上手くいくと良いです。今までは失敗したり、上手くいかないことがあると、全部自分を責めていました。自分の人生を丸ごと否定していました。自己責任な人生はある意味では自分軸ですが、なんでも加減が大切ですよね。それに気が付くことができました。って全部知っていますね。
自分を変えられたでしょうか?どんなわたしになっているのか楽しみです。今までは、あなたのことを考えることができませんでした。わたしはあなたを幸せにしたいと思っています。わたしはあなたのために、進みます。待っててね。いっぱい楽しい思い出を作るからね!
過去のじぶんへ
令和を生きる若かりしわたし、頑張っていますか?私は90歳になりました。お陰様で毎日を穏やかに、健やかに、暮らしています。毎日美味しいものを頂いていますよ。若い時のわたしは本当に不器用でしたね。今ではその不器用さも可愛らしかったなと思います。あなたがいたから、今の私がいます。ありがとう。
あなたは不器用で、卑屈になることも多かったわね。でも気がつく時がちゃんとくる。あなたの人生を全部を糧にできる時がくるから、諦めないでね。チャンスや差し伸べられた手に気付かなくならないように、まず自分を整えて大切にするのよ。
迷ったり悩んだりすることもあるでしょう。時には涙を流す時もありますね、くじけそうになる時もありますね。強く生きてください。私は知っています。あなたは強い。全部を力に変えられる強さがあります。そして温かさも優しさもあります。全部が力になるから、悩んだり迷ったりすることももっと味わってください。ひとつふたつの失敗でへこたれるんじゃありません。そんなの序章ですよ。
時には休憩が必要な時もあります。ですが、絶対に歩みを止めないでください。動き続けてください。ゴロゴロしている暇なんてありませんよ。いつでも、即行動です。考えてばかりで頭でっかちになっていたら、自体はややこしくなる一方です。良いことなんてありませんよ。自分の幸せのためにどんどん動きなさい。誰かのためではありません。あなたのためです。あなたのために、健康に気をつけなさい。食べるものに気をつけなさい。運動をしなさい。いっぱい笑ってください。
凝り固まった自分は一筋縄では変えられません。でも諦めないでください。私は諦めないって知っていますよ。諦めたら私はここにいないでしょうから。自分を大切にして、自分を大切にしてくれる人も大切にして、どんなことも全力で楽しんでください。あなたはあなたの人生をしっかり生きてください。あなたがいたから、今の私がいます。
がんばってくれてありがとう。
ここまでお読みいただき
ありがとうございました。