母だけど母じゃない人
おはようございます。私の住んでるところはとてもいいお天気となっています。今朝も隣の家の森からウグイスの素敵な鳴き声が響いています。澄んだ声がとても気持ちいいです。
今日は朝からちょっと重めの話になってしまうかもしれないけれど、感じたことなので、書いてみようと思います。
ここしばらく
私がいつも読ませていただいているクリエイターのみなさんの記事で、心に残った話題があります。それは「お母さん」という存在。人によってお母さんへの想いはさまざまだと思うんだけれど、お母さんていう存在がとても大きい人もいるんだなぁと知ることができました。
私にとって母は「お母さんなんだけれどお母さんではない人」という感覚なので、すごく会いたいとか、いなくなってしまって悲しいという感覚まではたどり着かない。もちろん、感謝はしている。壊れた心と壊れた脳で生きていることだけで精一杯なのに、私を育ててくれたから。
ここに書くと、もしかしたら、ドン引きされてしまうかなぁと思うけれど…
書きます。
私の母は、現在生きているのか、亡くなっているのかまったくわからない。どこに住んでいるのかもわからない。60代で再婚して、私の手の届かないところへ行ってしまった。
母は人として壊れてしまった考え方、感性で生きている人なので、常識は全く通用しない。私の感覚だと見た目は大人だけれど中身は5才くらいで、かなり病んでいる人にしか見えない。認知のゆがみがひどいのだ。一緒に暮らすとすごくツライ。
以前、ヤングケアラーとして介護雑誌の編集の方に取材を受けたことがあるんだけれど、その時の担当の方が「高次機能障害と統合失調症の症状に似てますね…」と教えてくれた。難病の薬を大量に飲んでいて限界に達しているから、精神疾患の診断を受けたとしてもこれ以上服薬できないのが正直なところだ。
母は私が子供の時からもうすでにそういう状態だった。だから、私は甘えたくてもほとんど甘えられなかった。ごくたまーに半年に1回くらい、ふと「母に戻る」時があって、それはたとえば絵本を読み聞かせしてくれたりなんだけれど、そういう時に「ああ!ママが帰ってきた!」って思ってすごく嬉しかったのを覚えている。それも束の間で、数分後なのか、数時間後にはいつもの「母ではない母」という人に戻ってしまう。そうなると、母の精神状態を確認して、どういう対処をしようかと考えるいつもの暮らしになってしまうのだ。それをもう小学校低学年くらいからやっていた。
だから、甘えるというよりも「支えなくちゃいけない」という感覚が強くてなんというか、そういう子供時代になってしまった。それなのに、当の母は感覚が5才なので、自分の思い通りに子供をコントロールする。私はもう小学生の時にそのことに気が付いていたけれど、わかっていて合わせていた。なぜって、明らかに母の感覚はおかしいし、なにより考えが子供の私よりも幼いなぁと感じていたから。
そんな生活だったせいか「母に会いたい」と思うことがない。もちろん嫌っていない。感謝しているし、生きていてくれるならそれでいいと思える。けれど、会いたくて苦しい気持ちになるという感覚がわかない。むしろ、一緒にいると苦しいし、ツライ。キライじゃないけど、離れて私の生活に介入しないでくれると安心する。ここに詳しく書くと、イヤな気持ちが蘇ってしまうから書かないけれど、普通の生活ができなかった。
母は、母が17才の時に交通事故に遭遇してしまい、もう助からないと言われたのに1か月後に意識を取り戻した奇跡の人だ。ただ、親類からは事故の前と後で性格が変わってしまったと聞いている。事故前は、おおらかで、のんびりした人だったのに…と言っていた。事故は怖い。事故に遭わなかったら母は普通の人だったかもしれない。でも、そうしたら変人の父と結婚する可能性は下がるので、私が生まれることも無かったかもしれない。こう考えると、人生ってドラマチックだ。
だから、noteでいろんな方のお話を読むと、とても勉強になる。いろんな気持ち、いろんな感覚がある。人はそれを抱えて生きていくんだなと知ることができました。
私は私の過去を後悔することは今のところない。いろんなことがあったけれど、なんだかんだで自分の意思で選んできたから。
これからも私のちょっと足りない、この感覚でいろいろなものを見たり感じたりしていこうと思っています。
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