中のヒト
今回のタイトルの中のヒトとは、人間の中にいる「存在」を意味しています。
今回の記事は、中にいるヒトに伝わるといいなということがテーマとなっています。なので読むと「何言ってるんだい?この人」という感覚になる可能性が高いのですが書いてみます。
「中のヒト」はもともとカラダがない存在。そして感覚がカラダを持つ地球上の生き物とはだいぶ違う。かなり違う。なんでそういうことが言えるのかというと「そういう存在と交流している」から。ただし、この交流が実在していて真実なのかということは証明できないので、あくまで私の感覚としての話です。信じもらってもいいし、信じてもらわなくてもいい。
なのでそういうことに興味関心がある方はよかったら読んでください。
私が様子を知ることができる種類の「中のヒトは」
ネガティブな感覚、ネガティブな感情に関心があることが多い。
もしかしたら、見えない世界にはそういった感覚がとぼしいからかもしれない。
もちろん、もうすでに人間の世界のネガティブなことはよく知り尽くしていて「もうまたかぁ…」と感じておられる中のヒトがいることもある。
いろんなパターンが存在している。
そして基本的に中のヒトにとって大事なのは「カラダ」じゃなくて「中のヒト」がいろんな体験をするということ。カラダじゃない。
中のヒトが自分のカラダを守るのはこの世界に存在するためにはカラダがなくちゃいけないからであって、カラダが大事だからではないのだ。
だから
中のヒトによってはものすごく人間という生物を、自分のカラダを、軽く扱うモノもいる。
人生として予定に組まれてる以上の「人間にとっての苦痛」を与えたり、無理のある導き方で「人間にとってはただ苦痛なだけで意味のない」現象を選んでいる中のヒトがたまにいる。
私は今回、そういう種類の中のヒトに伝わったらいいなと思っています。
苦しいという感覚は中のヒトにとっては興味があったり、楽しいことかもしれない。でも、それを感じる感覚のある人間にとってはツライもの。何かを知る、得るために苦痛があるのかもしれないけれど、ただ単に中のヒトが「もっとほしいなぁ…楽しいなぁ」と感じるからといって「無意味な苦痛」を自分のカラダに与え続けるのはよくないと私は思う。理由は、苦痛を感じることによって得るモノがあったとして、そのあとの追加の苦痛は意味があまりないことの方が多い気がする。ただ苦痛なだけなのです。あとは無理のある導き方で必要以上に苦痛を感じているカラダの人もいる。人間は生身の生物であり、機械ではないよと思うのです。
私から見ると、中のヒトにいじめられているように見えてしまうカラダの人がいるのだ。
それは中のヒトとカラダが「仲悪い」「お互いによくわかっていない」ということ。うまくいってないということ。中のヒトはもともと地球の生き物ではないから生き物のことをよく理解しているとは限らない。
中のヒトから見れば「このカラダ操縦しにくいなぁ💢」とか「今の苦痛、もっと感じたいなぁほしいなぁ」とかいろんなパターンがある。
中のヒトたちはいろんなボタンを押す。
痛いボタン
イライラボタン
腹立つボタン
哀しいボタン
スキボタン
キライボタン…
多種多様なボタンを連打しまくる中のヒトもいる。
たまに「もう役割果たせてるじゃん。なんでそんなにやり続けさせるの?もうこれ以上は無意味でしょ?」ということを中のヒトに感じることがある。
カラダとしては「なんでかわかんないけど、こういう行動をとっちゃってなんでかわかんないけどすごくツライ」とか、わけわからなくなるんだよね…
これが必要な場合もあるけど、そうじゃない場合は中のヒトのやり方がヒドイと感じてしまう。
いろんなミッションがあるとは思うけれど適度に!がいいと私は感じてる。それは中のヒトとカラダが信頼関係にあるのが一番大切だと思うから。お互いを大切にできるから地球上での生活が成り立つのです。
ちなみに、人として生きるだけでもどうしても苦痛を感じてしまう種類の方もいます。場合によってそれぞれパターンが違うのですべて同じというわけではないです。
たまにやりすぎている中のヒトがいるけれど、人間として接してみてイヤだなと感じたら
「イヤです」と容赦なく人間として表現してしまう私もある意味ヒドイ人なんだと思う。…でもイヤなものはイヤなのです。
そして私もほかの人から見たら「ヒドイ人」
勝手だし正直すぎるから。
そして、なんでこんなカラクリみたいなものを私は見てるんだろうと思うこともある。嘘かホントかわからないことを。
でもそうやって生きていくしか私にもできないのです。
だから私は常に共存を希望しています。イヤだなと思ったら距離はとります。でも否定はしません。人を否定したら自分をも否定しているような気持ちになるからです。
余談ですが
私は「ちょっとやりすぎだろう…」と感じると自分の頭の中のボタンを探すようなイメージをします。そして例えばイライラスイッチをオフにするイメージをします。これがせめてもの中のヒトへの抵抗です。今はめったにやらなくなったけれど。
人間て不思議でへんてこですごく困る。でもキライにはなれない。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。