清貧と銭ゲバの間 後篇
払いたいのに払えない、
苦悩を抱えた前編の続きです。
ここで私の頭は「稼ぎたい」に180℃方向転換します。
けっこう極端な性格なんですよねー。
その頭が、RAS(脳幹網様体賦活系ーのうかんもうようたいふかつけいー)を使って見つけてきた誰かの言葉がこれ。
「この世のすべての悲劇は、自分が満たされていないのに他者に与えようとすることで起きる」
誰の言葉だったかもわからないし、言い回しは違ったかもしれませんが、
ニュアンスは合っていると思います。
この言葉で
やっぱそうだよねー!!
って思ったんです。
どんなに素敵な商品でも、自分の生活を切り詰めてまで買うのはなんか違うって思ったんです。
結局銭ゲバか
とか
偽善者!
みたいな声が聞こえてきそうです。
確かに私自身、そうはいっても少しの罪悪感と迷いは残っていたと思いす。
というのも、そういうイベントでは、自分の生活を切り詰めてまでもそこでお金を使おうとする人がいる。
社会課題って、まわりまわってめちゃくちゃ自分の生活に影響しているので、社会課題にお金を使うのと、自分にお金を使うのはイコールっていう
思考になっているんですよね。
実際私も今でもそう思っています。
もっと言えば、そこで数千円使ったとしても、
明日からごはんが食べられなくなるほど困窮しているわけではない。
目の前には素敵な商品たち。
ジレンマです。
それが今ではまったくと言っていいほどに、自分を優先する事への抵抗はありません。
前述のあの名言を、100%自分に都合よく解釈することで、
自分を満たすことが最優先だと確信したからです。
そうして私が銭ゲバになることで、どんどん社会の必要なところに
お金を落とせる人間になれるではないかと。
さて、ここでもう一度、お金の仕組みについてよく知る必要が出てきました。
稼ぎたいという思いと同じくらい強く、
自分が稼ぐことで他の誰かや何かが犠牲になるのは嫌だ、
と思ったからです。
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