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♪いつまでも変わらぬ愛を 織田哲郎

♪いつまでも変わらぬ愛を 織田哲郎

$織田 哲郎(おだ てつろう、1958年〈昭和33年〉3月11日[3] - )は、日本シンガーソングライター作曲家音楽プロデューサー。ティーズ・コーポレーション所属。

血液型はA型。東京都出身。高知学芸高等学校を経て、東京都立大学附属高等学校卒業、明治学院大学文学部除籍。

人物

1990年代のヒット曲の仕掛け人であり、長戸大幸とともにビーイングの創立に関与する。1990年代に同じくヒット曲を量産した小室哲哉と並ぶ作曲家として知られる。作詞も行う。

経歴

13歳の時に父親(東京大学卒業で国鉄職員)の仕事の都合で渡英、中学時代をイギリスロンドンで過ごし15歳で帰国。
帰国後は両親の出身地である高知県高知市で過ごし、この頃にギターと出会う。幼少時はブリティッシュ・ロックやアメリカンフォークを好んで聴いていた。
高知学芸高等学校在学時には学校内でバンド「ポテトーズ」を結成し音楽活動を行う。後に東京への引越しにともないポテトーズを脱退するが、その際に補充メンバーとして加入したのが後にファイナルファンタジーシリーズで知られることとなる植松伸夫であった。東京都立大学附属高校に転校後は、うじきつよし北島健二らと共にバンド活動。

1978年- 「スピニッヂ・パワー」の1stシングル「POPEYE THE SAILORMAN」にコーラスとして参加。

1979年 - 「スピニッヂ・パワー」の2代目ボーカリストに就任、楽曲のほとんどの作曲を手がける。ディスコミュージック路線のバンド「MSマシーン」を結成、シングルを3枚リリースした。このバンドだけ自作曲が無い。長戸秀介(長戸大幸の弟)と、ギタリスト北島健二と共に、プロデュースユニット「WHY」結成。6月にアルバム『WHY』をリリースしデビューした。

1980年 - バンド「織田哲郎 & 9th IMAGE」結成。アルバム『DAY and NIGHT』をリリースしたが、1981年にバンドは解散。その後ソロ活動、事務所を設立。

1983年 - アルバム『VOICES』でCBS・ソニーからソロ・デビュー。

1985年 - 新宿ルイードで行われたエフエム東京主催の彩恵津子公開ライブでは提供した楽曲「リーチ・アウト」にコーラスとして参加した。

1986年 - TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」を楽曲提供したことで作曲家として注目される。

1987年 - TUBEのメンバーや親交のあるミュージシャンからなるスペシャルユニット「渚のオールスターズ」を結成。

1989年 - バンド「TOUGH BANANA」を結成。アルバム『TOUGH BANANA』をリリース。

1990年 - 楽曲提供したB.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」がミリオンセラーを記録。これを皮切りにBeing系の数々のヒット曲・ミリオンセラーを量産する。

1991年 - 西城秀樹の22枚目のアルバム『MAD DOG」は、シングル「走れ正直者」を除く全曲のプロデュースを担当。西城がビーイング絡みで行った唯一のオリジナルアルバムである。

1992年 - シングル「いつまでも変わらぬ愛を」が大塚製薬ポカリスエット』CMソングに起用され、オリコン1位を記録した。

1993年 - ZARDの「負けないで」「揺れる想い」、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」、DEENの「このまま君だけを奪い去りたい」などミリオンセラーを連発し、オリコン年間チャート作曲家部門にて史上初の年間売上1000万枚超えの新記録を達成、ランキング1位を獲得した。

1995年 - ロカビリーバンドMAGICをプロデュース。同年デビューの相川七瀬を筆頭に幅広いアーティストのプロデュース業に従事。

1998年 - ZARDの「息もできない」の作曲制作を最後にビーイングを離脱。古村敏比古(Sax)、小田原豊(Dr)、美久月千晴(B)と「DON'T LOOK BACK」を結成[3]。シングル5枚、アルバム1枚をリリース。古村とは嘗て「織田哲郎 & 9th IMAGE」で共に活動していた。

2000年 - パリ・コレクションのモデルとして、MASATOMOの春夏ファッションショーに出演。観光旅行で訪れたスペインマドリードで強盗に背後からいきなり首を絞められ、現金やカード、パスポートなど全部を盗まれた。声帯を潰された上、声帯まわりの軟骨も変形、元の声が出なくなった。帰国後、フジテレビ『笑っていいとも!』の2度目のテレフォンショッキングにて公にするとニュースとなり世間を心配させた。

2003年 - 作曲家としての活動を縮小し、ライブツアー、アルバム制作に集中をする。

2004年 - 相川七瀬の「バイバイ。」がイギリスのポップシンガー・ジェニファー・エリソンに「バイ・バイ・ボーイ」という題でカバーされ、イギリス国内だけで約17万枚のヒットとなった。1996年に作詞・作曲・編曲を手掛けた曲で、イギリスで中学時代にディスコに熱中していた織田は、自身のブログで素直に喜びの意を表明した。

2015年 - ダイアモンド☆ユカイをボーカルに迎え、バンド「ROLL-B DINOSAUR」(ロール・ビー・ダイナソー)を結成。

2022年 - 1983年に作曲した亜蘭知子の「MIDNIGHT PRETENDERS」を、カナダの大物アーティストであるザ・ウィークエンドサンプリングし、シングルとしてリリースした。この曲「Out of Time」は、同年1月22日付の米・Billboard Hot 100で32位を記録した。これを受けて織田も自身のYoutubeチャンネルで「MIDNIGHT PRETENDERS」をセルフカバーすると共に、国内でも長らくマイナーだった同曲が世界中で親しまれている事を不思議がりながらも、時代を超えて自分の楽曲が支持されている事を嬉しく感じている旨を明かした。




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