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令和『いろはにほへと』-ほ-

令和『いろはにほへと』-ほ-

 「北海道」に生まれて育ちました。道産子(どさんこ)と言うやつです。
 僕は北海道が大好きで、というか北海道の連中と言う奴は大概が北海道が好きで、大学進学などで道外に出てもかつては、就職などには地元北海道に、もっと言ったら「札幌」へ帰ってくる割合が多かったと思います。今はどうなのか…、正直分かりませんが。
 確かに冬は長く厳しいんだけど、春夏秋冬の四季がはっきりしているし、季節ごとに海の幸山の幸がとても美味いし、自然が豊かで道外の多くの人たちが北海道に好感を持ってくれていることも、ちょっと気を良くする部分もあるのかも知れません。
 寿司!ジンギスカン!カレーライス!(スープカレー!)、スイーツ!皆さん、食べに来てください。何なら一緒に食べましょう。
 ただ、僕は一つだけ20代から10数年東京に暮らして、本州の人たちが褒めてくれる「あること」は違うなぁと感じることがあります。
 それは『東京なんて「大都会」は人が冷たい、他人に関心を持たず干渉しない。隣人とも付き合いどころか挨拶もない。その点、北海道の人は「人が良い」優しいし親切』というイメージを持たれていて、実際にそのようなことを耳にする場面も多かった事です。
 言うほど北海道の人間は、人が良かったり優しかったりしませんよ。地方に行けばかなり排他的で、警戒心が強い空気感ですし、都市部も、長く同じ狭い地域で暮らしているご近所さん同士は別ですが、東京よりも人が冷たいと僕自身の肌感ではそのように認識しています。と言うか、東京に住んでそれに気がつきました。
 そもそも東京なんて所は、日本中様々な地方から、大変な数の人たちが密集していて、石を投げたら大概地方人。自分のことが精一杯で他人に気にかける余裕も暇もなく、そんな地方人同士で警戒しあって干渉もしない関心も示さない。そういう部分だけが注目されがちで、2〜3世代東京に住みついている人は、とても優しく道産子の比じゃないのではないかとさえ思います。
 実体験をいくつか挙げると、あれはちょうど東京に出た二十歳の頃でしょうか。僕は23区ではなく西東京の「国立市」の6条一間の安アパートに住み始めました。9月になると国立の南の端の方にある、谷保天満宮のお祭りが開催され神輿が出たり、各町内や商店街などで地元の人たちがお祭りに大いに興じていました。
 日本人という奴は、どうしてあのお祭りの喧騒に惹かれてしまうのでしょうか。その年の3月に来たばかりの「よそ者」の僕は、祭りの音や空気に誘われて、あてもなくフラフラと町内や商店街の楽しそうに昼間から酒を酌み交わし、にこやかに談笑している高齢の方々や法被に捻り鉢巻のお兄さんお姉さん達を遠巻きにして、それだけで遠慮がちに、何となく楽しい気分になって、さて別の場所の雰囲気でもみに行こうかと踵を返すところで。不意に後ろから声をかけられ、振り向くと今見ていた法被姿のお兄さんお姉さんが、僕の肩に手をかけながら人懐っこい顔で「せっかくの祭りなんだから、おいで一緒に飲もう」と、僕の手を引き皆さんが集まっている所に連れて行きました。そうするとそこにいた皆さんが次々に、ビールや焼き鳥、紙皿にもった料理や箸を僕に渡し、ニコニコしながら一緒にこの日を楽しもうと歓迎してくれたのです。道産子の僕は大いに戸惑い、そしてそれ以上に嬉しい気持ちになりました。初めての感覚だったと思います。
 こんな事もありました。同じ国立でのことです。
 週に何度か、駅前のコーヒー専門の喫茶店で夜のバイトをしていました。閉店して全部の後片付けが終わり、マスターと店を閉めて出るのが毎回23時半以降でした。その日は夕方からバイトしてるので晩飯はそれからになります。流石にその時間帯で自炊は厳しく、開いてる店やもラーメン屋くらいしかありませんでした。よくそのラーメン屋で晩飯を食べていました。少し通い慣れてくると顔も覚えられて、口数の少ない店主でしたが元々は地元が北海道の方だったと聞きました。
 そうこうしてるうちに秋も深まり、夜はすっかり冷える季節になって来ました。その夜はバイト終わりの片付けなどが長くかかり、0時をすっかり回っていてラーメン屋さんももう閉まっていました。僕は晩飯をなかば諦めてアパートに戻ると、ポケットに部屋の鍵がありませんでした。店に忘れてきてしまったようでした。もう店にもマスターはいません、鍵を手にするには明日の開店を待つしかありませんでした。財布の中には僅かな小銭しか入っていません、ホントこの頃金が無かった。
 寒空の中悩んだ挙句に、最初はアパートの大家さんの車が施錠されていないことに気づき、車の中で丸くなて夜を過ごそうとしました。しかし、あまりの寒さに耐えられず、黙っているくらいなら歩き回った方が風邪ひかないと、あてもなく深夜の人気のない比較的明るい道を歩きました。しばらく歩くと、向こうから人影が近づいてきました。すれ違いざまふと顔を見ると、いつものラーメン屋さんの店主でした。向こうも僕に気がつき、互いに軽く挨拶を交わしました。すると、いつもの店で仕事をしている時とは少し違った口調で「こんな真夜中になにやってんだ?」と聞かれ、正直に鍵をバイト先に忘れて部屋に入れないことを話して「それじゃ」と歩き出そうとしました。
 ほんの一呼吸ほど黙った店主は「おい、ちょっと待ちな。こんな真夜中にブラブラしててもダメだろ、ほらこれ持って行け」と尻ポケットから長財布を出すと、さっと1万円札を数枚、僕に差し出し「これでどっか泊まって暖まれ。返すのはいつでもいいから」と言うのです。びっくり仰天、恐縮した僕は「いや!そんな大金は借りられません!ほんと、ありがとうございます。お気持ちだけで嬉しいです」と、そりゃあもう丁重にお断りしました。「本当に大丈夫か?」と最後まで気をかけてくれて、「風邪ひくなよ、また食べに来てくれ」と男前に立ち去って行きました。   
 なんて優しくてカッコいいんでしょう。僕もそんな男になりたいと憧れてしましました。
 まだありますよ(すごく長くなりそう。飽きてきたらこの辺で読むの終了してくれても大丈夫ですから…)。
 それから4〜5年経った頃でしょうか。僕はほぼ毎日、単車で「国立」から「国領」経由で、世田谷の上野毛や二子玉川辺りに通っていました。
 真夏の事でした。今も昔も、東京の夏は北国生まれの僕にはとても過酷でした。走ってる時は少しはマシですが、信号待ちなどで停車すると、股の間からエンジンの猛烈な熱気と外気温のダブルパンチでとても辛かったものです。
 そんなある日、どうも朝から調子が今ひとつ良くなかったのですが、だるい体で無理やり単車に跨り出発しました。
 ちょうど国領の踏切で、電車の通過待ちして停車している時でした。突然、頭がクラクラしてきたかと思ったら、視界が真っ白になり、単車に跨ったまま気を失って立ちごけして倒れ込んでしましました。当時は分からなかったのですが、熱中症だったのでしょう。いつも通り過ぎているだけの駅前踏切です、知ってる人も誰もいない。助けを求める気力体力すらありませんでした。
 僕の倒れていた道は狭く、踏切から手前には小さな商店やパチンコ屋が小じんまりと並んでいるような所でした。
 どれくらい倒れていたか分かりませんが、僕に近づき声をかけてくれてる人がいました。ヘルメット越しに何とか目を開けると、踏切に隣接したところにある八百屋さんの店主とその奥さんでした。二人は僕と単車を二人がかりで、あの混雑する通りの中で自分の店前に運んでくれてました。そして「今日はまた、特別暑いからね。大丈夫かい?少し休んでおゆき」と店の奥隅の風通しの良い所に僕を座らせ、冷たい水を差し出してくれ当たり前のように仕事を続けていました。
 やっとかすかに声を出せるようになった僕は、この人たちは「命の恩人だ」と思いフラフラ立ち上がり、礼を言おうとしました。すると奥さんの方が「ちょっとまだ立ち上がったりしたら良くならないよ。もう少し気分と体調が治るまでじっとしてな」と言いながら、ゴソゴソと商品かごに入っていた大きくて水々しいトマトを袋に入れて僕に渡してくれました。「冷たい水もいいけど、食べられそうならこのトマト食べて、水分と栄養しっかり取りなね。これ持っていきな」と。
 東京には神か天使しか居ないのではないか?とぼんやり薄らいだ頭で、そう考えていました。「少し動けるようになったら、向かいのパチンコ屋に行きなさいよ。ここは少し風邪が通るだけで暑けど、あっちは冷房がよく効いているから涼しくて早くに楽になれるよ」なんて人情に厚い優しさなんでしょう。
 今現在、自分がここに生きていて、こんな駄文を作れているのも、あの時あの八百屋さん夫婦が助けてくれたからこそなんです。このエピソードだけでも世界中に感動を与えられるのではないでしょうか。
 とどめの一つがあります。
 ある日僕はうっかり自分の「健康保険証」を国立駅前で落としてしまって、その後自分でもしばらく気がつかなかったという出来事を起こしてしまいました。
 ある日、僕のアパートの郵便受けにお袋からの封筒が届きました。普段手紙なんぞ書かないお袋が一体どうしたんだろうと、封筒を開けてみると…。
 その中には僕の「健康保険証」が入っていました。そして手紙も。内容は、見ず知らずの人から親父宛てに手紙が届いた。開いてみると、国立駅でこの保険証を拾った。落とした本人は多分大変困っていると思うし、扶養保険証だったので、名義人の親父のところに親切で送ってくれたとのことだった。その後、こってり親父にもお袋にも完膚なきまでに、大説教大会でしたが、これが諸外国だったら、手元に戻るどころか保健証ですから、借金されたり違法に使われたりすること間違い無いところでしょう。まさに奇跡の『都会』。神しか住んでいないのでは?と思ったり、拾ってくれた方も地方の人で、我が事のように心配してくれたのかしら…とか。
 大都会は、人が多過ぎて気がつかない事が多いけど、心から優しくて恥ずかしくない生き方をしている人がたくさんいることが、体験的にわかりました。
 10年ちょっと前に、一度東京。国立に地元に帰って以来初めて行ったことがありました。もう、何もかもがすっかり変わって、あの頃の雰囲気は感じられませんでした。
 時間の流れと言うやつは、時として残酷なものです。

 あ、あれー?今回は、地元「北海道」が大好きで、北海道の良さを魅力を伝えたかったのに、膨大な文字数を使って、大都会上げをしてしまった…。

 昔、北海道はそこらじゅうに熊がいて、みんな熊と遭遇したり共存してるんだろうと揶揄われたものですが、今じゃ本当に札幌市内でも毎日のようにヒグマの目撃情報や被害情報がネットで飛び交い、冗談ではなくなってきました。
 みなさん、今後北海道に遊びにくる際には「熊避けスプレー」と「熊鈴」持参でお越しください。
 北海道は、それでも、なんだかんだ言っても、いいところです。
 この地を、大切に守りたいです。

 親父の親父が開いた土地だよぉ〜♫
 
 
 

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