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パレスチナ問題

目次

はじめに

第一 事実とされているイギリスの3枚舌外交
⑴ フサイン:マクマホン密約について
⑵ バルフォア(国際)宣言について
⑶ サイクス:ピコ密約について
⑷ ファイサル:ヴァイツマン(国際)宣言について
⑸ 総括

第二 『真実』は,いつ,どうして,『事実🟰非真実』にすり替えられたのか?

はじめに

 僕がこれをここに記載する理由とは,パレスチナ問題において『事実』とされている問題の原因が,明らかに『真実』ではないからである。

『真実ではない』とは,『イスラエルが英国政府と協力して,現地民を駆逐した瞬間が存在しない』からで,イギリスの外交姿勢の如何を問わず,真実を無視して事実とされている理由と史実の間に関連性が見出せないからである。

 この問題の『事実』と定義されている歴史とは,
『イスラエルは,イギリスの後援(主として3つの不誠実な外交政策)によって,形の上で“約束の地”を侵略し,現地に暮らしていた多くのパレスチナ人を追放した。』
 というものである。

多くのマスメディア,パレスチナ解放戦線,イスラム諸国という『これは侵略であると定義する論説』のみならず,現イスラエル政府ですら,『それを侵略と定義しない』というだけで,上記,英国の3外交を背景として現地に暮らすパレスチナ人に退去を迫ったという虚偽がさも史実であるかのように報じられることについて異論を唱えない。

どうしてイスラエル政府は,彼の地にイスラエルが建国された歴史的経緯について,論説として世界に風評として定着しているこの『事実』について,少なくとも「違いますよ」と唱えないのだろうか?。

もちろん,イスラエルの建国には周辺アラブ諸国の反対というものがあるわけだが,これらは,現在,我々が『事実』と告げられている『イギリスの3枚舌外交』との関連は何も存在しないばかりか,イギリスの3枚舌外交のうち,イスラエル有利にアラブ人を謀ったと云われる「フサイン:マクマホン密約」に違っていた内容ですら,イスラエルが建国時に追放された形になった存在というのは,パレスチナと発する人々ではなく,イギリス駐留軍の彼の地への影響だったのだ。

まず,『イギリスの3枚舌外交』が如何なる内容であるかについて,以下,それを掘り下げてみたいと思う。

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