第二 『真実』は,いつ,どうして,『事実🟰非真実』にすり替えられたのか?(パレスチナ問題)2創り上げられた物語 episode❸
【リンカーン大統領のゲティスバーグ演説】
目次
⑴ ゲティスバーグ演説
副題 カール:マルクス,イルミナティを裏切る
⑵ 奴隷解放宣言全文
⑶ アルバート:パイクによる大統領暗殺
⑷ 社会民主主義政党ナチスとは,KKKのドイツ移住
本文に先立ち,
ちょっと筆者の政治経済への立ち位置を表明しておこうと思う。
※筆者は(新自由主義者)である。
※ 小泉純一郎〜竹中平蔵型の政経イデオロギーは新自由主義とは程遠いので,そこは誤解の無いようお願いしたい。
※竹中平蔵本人が,山口二郎との対談で,「私が新自由主義者だなんて,どうして言えるのか」と抗議して,山口二郎は「みんなが言ってるから」と応じているように,日本では,到底,新自由主義とは程遠い政経イデオロギーとして新自由主義が語られ,挙げ句の果てに「新自由主義の定義を言ってみろ」と追求されても,そう言ってる方が定義を答えられないという有り得ないレベルなので,呉々も偏向に基づく評価にならないようにと請願する次第である。
※(小泉純一郎〜竹中平蔵的政経イデオロギー🟰骨太の方針🟰政府財政の強化)とは,新自由主義とは程遠い,反動社会主義とか,それこそボナパルティズムに近い国家主義・行政主権を思想背景にせねば生誕不可能な産物だ。
※新自由主義とは,無政府主義の最終型なんだから,(税金が失くなる)という初歩不在で新自由主義に成り得るわけがない。
社会保障のためと称して消費税なる国家内関税を増設し,特区と称する政府認可事業区域を新設するとか,何から何まで無政府主義の正反対に当たるものが,日本で新自由主義と定義されている現実には,正に辟易の思いしかない。
本文序章は,カール:マルクスがイルミナティを裏切り,ロスチャイルド側に寝返ることで,イルミナティ🟰南軍資本を崩壊させ,ユダヤ北軍資本の優勢にアメリカ合衆国の政経構成が傾くところよりスタートする。
第二次イタリア統一戦争(1859)により,カール:ロスチャイルド協会は壊滅し,初代アムシェルがユダヤ名門のモンティフィオーレ5人姉妹,これを3人の実子と2人の番頭とで政略結婚させ,ロスチャイルドはスファラディユダヤ人と成っていたわけだが,その実子で中子のカールが,シチリアに事業拠点を残して亡くなったのが1855,カールの次男アドルフによって地中海最大の金融保険事業を営むロスチャイルドのイタリア拠点は失われた。
※ 余談だが,毛利元就の(3本の矢)の逸話は真実ではなく,
父マイヤーが亡くなるとき,
枕元に実子である3人アムシェル・カール・ジェイムスを呼び寄せ,
「何があっても,血のつながりのある3人は互いを見捨てるな」と遺言し,
そのとき,各人に1本の矢をそれぞれ折らせ,続いて3本の矢の束なら折れないことを各人に気付かせた故事に倣い,
これをパクって日本史が創作されるわけだが,
ロスチャイルド5兄弟の,妻は確かに5姉妹だが,アムシェルの実子は3名なのだ。
とにかく,
マルクス&ナポレオン3世と,イルミナティの関係はそこで断絶。
具体的には,ソルフェリーノの戦いで,皇帝軍に致命的敗北を喫させたところまでは,3者は紛うことなき同盟関係である。
シチリアを攻略するイルミナティ・ジュゼッペ:ガリバルディは,イタリアを共和制に持ち込んで,社会主義体制の構築を画策するが,カブール首相率いるサルディーニャ王国は,ナポレオン3世に裏切られ,戦争中に見捨てられた後も,半島への武力行使を辞めず,ガリバルディの共和制成立の夢は敗れ,サルディーニャ王国による共和制の否定が成し遂げられてしまう。
※イルミナティの方針は,多くの犠牲者を出しながら,何も得られず失敗に終わるのだ。
(ここで)
マルクス&ナポレオン3世とイルミナティの同盟関係は,すっぱり切れてしまうのである。
こう書くと,いやいやマルクスはフランス第二帝政開始の時点で,ナポレオン3世を批判してますという反論もあろうかと思うのだが,既出のエンゲルスの回顧録を見ていただいていない訪問者のため再掲しとくと,,,
エンゲルスは自身の回顧録の中で,
自分たちの活動に大きな影響を与えた人物として2人の名を挙げ,
一人がルイ:ナポレオン🟰ナポレオン3世
もう一人がオットー:フォン:ビスマルク
両者共に,反動政治体制・帝王制を,共産党宣言によって勃発した2月革命・3月革命を起点に達成している。
そして,エンゲルスの回顧録は,
ナポレオン3世を🟰我々を裏切った碌でなし
ビスマルクを🟰最後まで約束を守り抜いた英傑
このように評しているので,
ビスマルクが最後まで,エンゲルスたちとの約束を守り抜いたなら,ドイツ版ボナパルティズムであるプロイセンのドイツ帝国建国が,マルクスたちとビスマルクとの約束だったことになる。
当然,方向修正して,そのビスマルクとの戦争に敗れるナポレオン3世は,マルクスたちとの約束を裏切った碌でなしなんだから,エンゲルスの目から見て,叛逆に当たる何らかの行為が,ボナパルティズム帝国建国以外に,ナポレオン3世によって強行されておらねば,そのような評価になるわけないからね! それを前提に以下をご覧いただきたい。
マルクスとナポレオン3世では,どちらがイルミナティへの反逆主導権を持つのか知る由も無いが,少なくとも,ナポレオン3世は,そこで今まで採用してきた政経スタンスを1860年を境に一変。(馬上のサン:シモン)と呼ばれるくらい,空想社会主義の一人アンリ-ド-サン:シモン伯爵の掲げた体制を全面的に導入して,それまでの軍国体制を縮小させている。
関税の撤廃・専制の廃止といった自由主義政策が取られ,労働者への労働条件を整備できない中小企業者は有無を言わせず切り捨てられる引き換えに,8年間の戦争で疲弊したフランス末端生活者の窮乏生活に対しては,減税と,産業革命に先行成功していたイギリス製品が関税不在で届けられることで大きく改善させたが,,,
↑どこかで聞いたことない? この空想社会主義の実態。
その通りです。
筆者は(空想社会主義って新自由主義だよね?)と,諸兄に問いかけ,新自由主義的なものとして,空想社会主義・ロバート:オウエンの例(トリクルダウン的な企業の行為)を紹介したが,空想社会主義の代表的論客として,1860以降ナポレオン3世の経済理念となったサン:シモンも追加で挙げて,
↓本題に入っておこう。
⑴ ゲティスバーグ演説
副題 カール:マルクス,イルミナティを裏切る
本イメージには,アメリカ合衆国の服を着た小さな男の人の横で,船を漕ぐ手助けをしている大きな男性が描かれている。
この男性の名は,ジョン:ピアポント:モルガン。
NOTEで,筆者の創作文を覗いてみようかという御仁であれば,知らない人なんていないよねえ。
南北戦争期におけるこの風刺画は,アメリカ共和党政権というのは,全面的にユダヤ資本の後押しを受けているという,動かぬ証拠の一つと言えるでしょう。
南軍資本となるイルミナティは,KKKなる秘密結社を暗躍させるプロテスタント社会主義団体だけど,そのKKKの殺人対象とは,カトリック・ユダヤ・黒人(北軍協力者)である。
このJPモルガンを,諸兄には❶と覚えていただきたい。
そして前項で,1860年を境に,キッパリとイルミナティと関係を絶ったマルクス。
まあ覚える必要もないだろうけど,一応マルクスを❷としておく。
❶JPモルガンと❷カール:マルクス。
これが1861からリンカーン共和党政権といかに絡んでいくかについて,
それが本項の主題である。
1867年にマルクスが刊行する資本論には,実はマルクスの1860年までの手記しか引用されていない。
そればかりか,行動を共にしているエンゲルスは,この資本論第一部の編纂の際にはその名が出てこない。
エンゲルスは,1885年に資本論第二部,1894年に資本論第三部を刊行し,エンゲルス自身が開会を宣言する第二インターナショナル(1889年)の精神とされるわけだが,この時も,1861-1863年にかけてのマルクスの手記は引用されていない。
※ ちなみに,マルクスは1863以降は資本論の編纂に向けて自論を整理する活動に入っており,それ以後,新しい学説は誕生させたわけではない。
※ それどころか,この作業は(私にしかできない,エンゲルス君にもできない)と書き送っていて,後にエンゲルスが(マルクスの字はエンゲルスにしか読めない)として,出版された資本論第二部・第三部は捏造されている可能性すらある。
※ そして,1861-1863,マルクスの主筆は続いて紹介させてもらうニューヨーク・トリビューン紙への寄稿と並行して行われているので,その内容に大きく乖離することは無いはずだ。
マルクスの1861-1863にかけての手記は,エンゲルスも世を去った遙かのち。
1978年,ソビエトのアフガニスタン侵攻において,これが世界的非難を浴びた際に(1861-1863にかけてのマルクスの手記をまとめたものだ)と世に出された。
結論から言うと。
筆者はこれをソビエトによる捏造だと断定している。
その理由は,ここまでにちょっと触れたが,
マルクスは1861年より,(アメリカの有力紙ニューヨーク・トリビューン)に,エンゲルスを介さず,独自に寄稿文を掲載することで,アメリカ世論を啓蒙しているのであるが,筆者は,マルクスが1861年からイルミナティと関係を絶った理由をここに求めている。
(+αエンゲルスは,イルミナティがマルクスに貼り付けてた目付なのだ)と。
ニューヨーク・トリビューンが寄せた主な(外国通信員マルクス)の寄稿を⭐️としよう。
その後,リンカーン共和党政権が取った政治方針を🌊として記載すると。
⭐️(北部の勝利のために)革命的戦争の選択を迫る
🌊リンカーンは,当初ナポレオン3世が南軍の援軍に駆けつけると考えて,開戦に消極的だった。
(そりゃそうだろう。ナポレオン3世・帝政フランスは,毎年のように戦争を経験していて,その対外戦争に一度も負けたことがないのだ)
しかしイザ開戦してみると,ナポレオン3世はメキシコ内戦への介入を決定し,南軍の支援に回す余剰戦力が無いと,南北戦争に介入しなかった。
(この時,ナポレオン3世はソルフェリーノの戦いで打ち破ったオーストリアの王子・マクシミリアンをメキシコ帝国の王位に着けている)
イルミナティにとって,カトリック皇帝国オーストリアは直接の敵国である。
その王子をナポレオン3世が担ぐということは,ナポレオン3世帝政フランスは,はっきりとイルミナティと決別したことを意味する。
(巷で評価されることを見たことはないが,筆者は以下のように断定する)
南北戦争で,北軍が勝ったのは,ナポレオン3世がイルミナティを裏切ったからだと,
南北戦争は,1865/4/9終戦を迎えるが,これに先立つ1864/9/28,ロンドンのStマーティンホールで開会された第一インターナショナル(マルクス主宰)の労働者兵の国際組織🟰総評の結成式に,最大の加盟兵団を送り込んだのは,フランス・ナポレオン3世だったのだ。
(兵隊の国際組織)だよ。
兵隊ってのは,個別国家の公務員ですよ。
自国の公務員を世界中の正しい戦争のために,個別国家の防衛以外の目的で働いてもらいますってことなんだよ。
(完成した社会主義国家は,昇華的に廃止し,世界政府となる🟰共産主義)↓
↑ボナパルティズム・フランスは,防衛権能を第一インターナショナルに移管
そして,フランス軍に援軍を求め続けている敗色濃厚な南軍の影の総帥・アルバート:パイクは,イルミナティのNo2ですよ。
1864年,イルミナティNo1ジュゼッペ:マッツィーニは,シオン賢者の議定書の同文を,『マキャベリとモンテスキューによる地獄での対話』と題し,モーリス:ジョリーの偽名を用いてフランス中に展開し,フランス国民にとって悪魔的支配者がナポレオン3世であるとの扇動工作に成功するのだが,
ここまで❗️これら,その理由が分かるでしょ?
そういう分析を見たことがないんだけど。
この時,開戦を躊躇うリンカーンに(大丈夫だ❗️ナポレオン3世は,南軍の援助としての軍事遠征は行わない)と,アメリカ世論を啓蒙することで開戦を促した人🟰それがカール:マルクスであることを知る人は少ない。
マルクスもまた,イルミナティ🟰正義者同盟🟰シオンの賢者を,返上していた。
世界史って,シオン賢者の議定書を隠そうとするから,その辻褄を合わせるのに嘘ばかり言わなきゃいけなくなってるんであって,シオン賢者の議定書を(❗️)と出せば,誰にだって歴史的背景が思い浮かぶはずなんだよ。
本ブログは,
前回,オーストリア皇帝よりサロモン:ロスチャイルドが爵位を賜る由,ご紹介させていただいたわけだが,その王子が帝位に就くためフランス軍を動かすならば,当然その資金はサロモン:ロスチャイルドが出したに違いない。
一方,
領地は広いが,戦力が分散している北軍には,緊急・突貫工事で,合衆国を連結させる鉄道の建設が不可避である。それには国債を発行しないと発注費を調達できないリンカーンの元には,JPモルガンがやってくる。
(実はピーボディ基金の後継に私の父が就任しましてね)
(重要顧客ブラウンブラザーズから,何か有力な投資先をと尋ねられているのです)
(彼らがアメリカで投資するコンサイナーは,私ただ一人ですけど)
リンカーンは,JPモルガンに何か確かめたのだろうか?
筆者が大統領の立場であれば,JPモルガンにこのように尋ねるだろう。
(では,あなたが北米横断鉄道建設のために,合衆国が発行する全ての債権,
これをいくらであろうと,必要な額だけ購入投資できる金主のお義父様は,
英国男爵・ネイサン:ロスチャイルド氏なのですね?)と。
⭐️アメリカ合衆国全ての領域にて,大土地所有の廃止
🌊リンカーン政権によって,プランテーションの廃止が決定された。
これは,メリーランド・ウェストバージニア・ケンタッキー・ミズーリの北部に所属する4州にとって,看過不可能な政権の決定と言えた。
南北戦争初期における南軍の優勢とは,兵力とか作戦とか以前に,防御側4州における士気の低さが,その遠因となっていることは否定し難い事実である。
また,それは黒人の立場でも同じことが言えたのである。
奴隷とは言え,プランテーションで隷属環境にある黒人は,食っていくことに不足は無い。
奴隷から解放されて,一般労働者になったとて,誰が雇用してくれるのか?
奴隷としてのプランテーション従属以外の,いったい何が彼らを労働者として求めうるのか?
黒人たちは,生きていく上で奴隷であることに,もちろん不足であるものもあった,過酷な,非人間的な扱いをする牧場主は確かにあったわけだが,実はそれは少数派であり,黒人たちの多くは,賃金が少ないということはあったにせよ,優しい雇用主のもとで,奴隷ではあってもその環境を居心地の良い生活環境と受け取っていたものは少なからずあった,いや,むしろその環境に甘んじるものの方が,実は数として多かったわけである。
マルクスの舌鋒は鋭く続く。
⭐️ルンペンプロレタリアトは要らない。
マルクスは,自分の力で,自分の立場を改善しようとせず,権力に迎合し,奴隷の立場を求め続けようとする労働者を,ヨーロッパにおいて(ルンペン)と呼んだ。
アメリカ大陸にて,奴隷の地位から解放されるというのに,それでは生きていけないとして奴隷のままでありたいと表明する黒人たちは,マルクスにとってルンペンだった。
奴隷としての雇用を解かれた黒人たちは,徒党を組んで白人を襲った。
そうしないと生きていけないのだ。
映画(風と共に去りぬ)の原作には,この黒人たち失業者が生きていく上で仕方なく白人達を急襲し,それから身を守るため,KKKを組織せねばならない白人達の窮状が,これでもかx3と描かれている。
原作とはかけ離れ,映画にその場面は無く,乱暴狼藉を働くのは白人の集団で,レッド:バトラーら,これを防御するための活動はKKKと謳われていない。
⭐️リンカーンの奴隷解放令は甘く,メリーランド他数州の北部における奴隷制維持を目論む全ての行為の廃止を求める(完全なる奴隷解放宣言)黒人を北軍の兵士として雇用せよ。
🌊1863年1月1日,リンカーンは奴隷解放宣言を発布する。
兵力不足北軍に,黒人部隊という援軍が登場した。
1863年11月19日,遂に南北戦争の趨勢は決する。
それは,この敗戦後も,戦える力を失っていない南軍を暴力によって追い詰めたわけではない。
この日,人類には,初めて(国際社会)という概念が生まれた。
そして国際社会は,現代に至るまで決して否定できない正義の概念をこの日に授かり,今日まで,これに勝る定義を構築できていない。
government of the people, by the people, for the people
どういう意味か? 民主主義 そういう意味である。
しかし,今,民主主義とはそう書かない。
democracy ←この単語には,民主主義という語彙は,どこをどう切り取っても,無いのである。
1863年11月19日以降,権威は,government of the people, by the people, for the people の意味を democracy であると偽装するため,権威としての戦いが始まる。
そして,パレスチナとイスラエルの戦いは,government of the people, by the people, for the people の意味を democracy であると偽装するため,今のように展開される必要性が有るのだ。
後日,ナポレオン3世・帝政フランスは,ビスマルクが建国したドイツ第二帝国に敗れ,ナポレオン3世は降伏し,モルトケ率いる第二帝国・ボナパルティズムドイツ軍はパリに迫った。
パリ市民は,(パリコミューン🟰パリの共産主義者たち)という抵抗組織を結成して,決して降伏しない,最後の一人まで戦うとした時,マルクスは,パリコミューンを絶賛し,これこそ government of the people, by the people, for the people との評価を与えている。
民主主義とは 命よりも大切なものが有る そういう意味なのか←それがマルクスの定義だったのか?
奴隷としてでも良い,戦わずに生きていたいとの表明は,ルンペンでしかないのか? その選択は,人間であることの辞退を強要されるほど恥ずかしいことなのか?
次回は,ゲティスバーグ演説全文および奴隷解放宣言全文について,筆者の所見を述べる。